東海道線「電化」100年 でも「電車」が走ったのは25年後!? 夢のまた夢だった電車

東海道線東京~国府津間と横須賀線は、100年前に電化されました。当時、東海道線のような主要な路線では蒸気機関車による運転が主流でしたが、この区間の電化から電気機関車による運転が本格化したのです。

東海道線がようやく電化! でも「電車」はまだ

 東海道線東京~国府津間と横須賀線が電化されてから2025年で100年を迎えます。鉄道の歴史で一つの画期になりましたが、このときから同区間の列車が「電車」になったというわけではありません。何がどう変わったのでしょうか。

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電車が行き交う現在の東海道線(画像:写真AC)

 現在のJRグループ、かつての国有鉄道が運営している路線のなかで、最初に電化された路線は、東京の中央線です。1904(明治37)年に飯田町(かつて飯田橋の南側にあった駅)~中野間が電化され、電車の運転が始まりました。これは甲武鉄道という私鉄から引き継いだものでした。

 次いで、1909(明治42)年には山手線が電化されました。いずれも都市部の輸送に特化したものでした。

 東海道線のように都市間を結ぶ幹線で最初に電化されたのは、信越線の横川~軽井沢間で、1912(明治45)年のことです。この区間には碓氷峠の急勾配があり、電化して蒸気機関車から電気機関車に置き換えることで輸送力が増強されたほか、トンネル内で蒸気機関車の煙に悩まされる問題から解放されています。

 今でこそ、石油がエネルギー資源として重要視されていますが、明治・大正時代の主要なエネルギー資源は石炭でした。その頃の調査では、全国の出炭量の約1割を当時の国有鉄道の組織だった鉄道院が消費していたといわれています。

 しかし、1919(大正8)年の閣議を受け、鉄道院では電化の取り組みが進められます。蒸気機関車を水力発電の電気で走る電気機関車に置き換えることで、石炭を節約する方針が定められたのです。この方針によって東海道線と横須賀線の電化が始まり、まずは東京~国府津間と横須賀間が電化されました。

 ただ、その後の電化はなかなか進みませんでした。電化に際しては列車に電気を送るための施設が必要になり、そのための費用が巨額であることから、費用対効果の面で電化の優位性を見いだせないこともあったのです。

 東京~国府津・横須賀間の電化に際し、海外から電気機関車が輸入されました。鉄道車両の国産化の流れはすでにありましたが、当時はまだ電気機関車を国産化する技術が発達していなかったためです。

【貴重!】輸入された約100年前の電気機関車を見る(写真)

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