東海道線「電化」100年 でも「電車」が走ったのは25年後!? 夢のまた夢だった電車
東海道線東京~国府津間と横須賀線は、100年前に電化されました。当時、東海道線のような主要な路線では蒸気機関車による運転が主流でしたが、この区間の電化から電気機関車による運転が本格化したのです。
長距離も「電車が当たり前」になったのはいつ?
東海道線で長距離輸送用の電車が登場したのは戦後の1950(昭和25)年です。当時の客車と同等の設備を備えた80系電車が導入されました。以後は長距離輸送も電車が主力となっていきます。
電車は動力を分散させることで全体として出力を増やせるほか、終着駅での折り返しが簡単にでき、駅の規模も大きくせずに済むという利点もあります。また、加速やブレーキの性能も電車の方が高いほか、機関車よりも車両が軽く線路の負担が少ないことも利点です。
こうしたことから、新幹線にも電車が採用され、在来線も現在は、貨物列車を除くと電車の優位性が圧倒しています。
ちなみに、100年前の東京~国府津・横須賀間電化に際し輸入された電気機関車は、アメリカ・イギリス・スイスのメーカーでしたが、日本で現存しています。
のちに西武鉄道が譲り受けたE52(スイス、ブラウンボベリ製:Brown, Boveri & Cie. 略称BBC)やE71(アメリカ、ウエスチングハウス・ボールドウィン製:Westinghouse・Baldwin)が西武鉄道の横瀬車両基地(埼玉県横瀬町)で保管されているほか、ED11(西武鉄道E61:アメリカ、ゼネラル・エレクトリック製:General Electric)とED18(イギリス、イングリッシュ・エレクトリック製:English Electlic)が名古屋のリニア鉄道館に保存・展示されています。また、大宮の鉄道博物館でもED17(イギリス、イングリッシュ・エレクトリック製)が保存・展示されています。いずれも動くことはありませんが、比較的良好な状態が保たれています。
Writer: 柴田東吾(鉄道趣味ライター)
1974年東京都生まれ。大学の電気工学科を卒業後、信号機器メーカー、鉄道会社勤務等を経て、現在フリー。JR線の2度目の「乗りつぶし」に挑戦するも、九州南部を残して頓挫、飛行機の趣味は某ハイジャック事件からコクピットへの入室ができなくなり、挫折。現在は車両研究が主力で、技術・形態・運用・保守・転配・履歴等の研究を行う。鉄道雑誌への寄稿多数。資格は大型二種免許を取るも、一度もバスで路上を走った経験なし。
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