東海道線「電化」100年 でも「電車」が走ったのは25年後!? 夢のまた夢だった電車
東海道線東京~国府津間と横須賀線は、100年前に電化されました。当時、東海道線のような主要な路線では蒸気機関車による運転が主流でしたが、この区間の電化から電気機関車による運転が本格化したのです。
東海道線の電車化計画は、関東大震災で頓挫
東京~国府津・横須賀間の電化当初は、まだ電気機関車の信頼度が低かったことから、電気機関車に蒸気機関車を連結して運転されていました。1926(大正15)年には電気機関車を2両連結した重連運転となり、翌年には電気機関車の単独運転に移行しています。
また、電気機関車による客車の牽引(けんいん)だけでなく、電車での運行も計画されていました。実際に、ボックス席のクロスシートにトイレも備えた木製の電車も製造されましたが、1923(大正12)年に発生した関東大震災によって計画は頓挫。製造された電車は、扉を片側2か所から3か所に増設の上、座席をロングシートに改造してトイレも撤去され、山手線や京浜線(現在の京浜東北線)に投入されています。
東海道・横須賀線関連で電車が登場したのは、1930(昭和5)年3月15日のことです。東京~横須賀間で電車の運転が始まりました。ちなみに、東海道線と並行する路線では、先述の通り山手線で電車の運転が行われていたほか、1914(大正3)年には京浜線が電車運転の路線として開業しています(線籍としては京浜線も東海道線)。
東京~国府津間と横須賀線が電化された頃は、長距離の列車は蒸気機関車が客車を牽引する形で運転されていました。蒸気機関車は、石炭や水を供給する都合で付け替えが必要になるという手間がかかります。ただし、車両の保守の面では、機関車に集中できるという優位性があります。
一方で、電車は機関車を付け替える必要がなく、走行するための装置も小型で済むため、頻繁に列車を運転する場合には有利でした。この結果、近距離は電車、長距離は機関車と使い分けていた時期もありました。
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