【懐かしの私鉄写真】梅田のウラを“路面電車”が走っていた50年前 野田で天六でお別れ準備が進む「阪神北大阪線」最後の春

阪神北大阪線は、野田と天神橋筋六丁目を結ぶ延長4.6kmの軌道線でした。工場の多い地域を走り利用者も比較的多い路線でしたが、国道線の廃止にあわせて50年前に役割を終えています。今回は廃止直前の全線乗車を振り返ります。

この記事の目次

・電停や車内に掲出されていた営業廃止の謹告

・砂利が撒かれていた野田電停

・終点の天六電停は線路を1本潰してホームが設けられていた

・阪急3複線と同じトラス橋で貨物線をまたぐ

【画像枚数】全27点

電停や車内に掲出されていた営業廃止の謹告

 かつての阪神電気鉄道(以下、阪神電鉄)には、国道線と北大阪線という2本の軌道線(路面電車)がありました。阪神国道を走る国道線に比べると、北大阪線は路線長が短く地味な存在でしたが、下町的な匂いがする沿線は工場なども多く、そこそこの活気を見せていました。しかし、国道線の廃止に伴い車庫を共用している北大阪線も同じ運命をたどることになり、1975(昭和50)年5月5日限りで廃止されています。

 北大阪線は野田~天神橋筋六丁目間4.6kmの路線で、1914(大正3)年8月19日に開業しています。起点の野田は阪神電鉄本線の野田の北側地平に乗降場があり、天神橋筋六丁目に向かって海老江、上海老江、西大淀、大淀、東大淀、中津、北野、南浜、本庄中通の電停がありました。中津で阪急電鉄神戸線、宝塚線、天神橋筋六丁目で同千里線、大阪市営地下鉄堺筋線、同谷町線と接続していました。

 北大阪線の全線に乗ったのは廃止を翌週に控えた1975年4月28日です。天気が良くなかったため途中で降りたのは中津のみ。そのほかは野田と天神橋筋六丁目付近を歩いたくらいなので写真のできはいまひとつですが、国道線とは異なる沿線の雰囲気は感じられると思います。

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野田の乗降場全景。右端の国道線乗車ホームは本線の高架下にある。34号が停車しているのが同降車ホーム、左の島式ホームが北大阪線で、左端が降車ホーム、213号が停まっているのが乗車ホームとなる。朝は4~5分間隔で運転されるが、ご覧にように電車を待つ人がひしめき合っている(野田/1972年10月27日、楠居利彦撮影)
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国道線の乗車ホームは高架下なので、雨降りでも濡れずに乗り換えができる(野田/1975年4月28日、楠居利彦撮影)

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Writer:

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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