「この飛行機、6畳の“お茶の間”で自作しました」→驚愕の制作現場とは? 型破り機が日本の空を駆けるまでの経緯

飛行機は用途や使われ方によって無数の種類があり、小さいものでは個人が自分の自宅で作ることも可能です。その制作現場を見ると、驚きの光景が広がっていました。

ウルトラクルーザー最初に手に入れたのは図面だけ?

 そんな藤田さんが今の「ウルトラクルーザー」に出会ったのは2000年頃だといいます。アメリカの自作航空機の雑誌に、開発中のこの機体が紹介されていたのです。

 コクピット部分はキャノピーに覆われたクローズ式でカッコよく、なによりも機体全体が金属製で作られていることに惹かれたそうです。「これまでに、羽布張りやプラスチックなどさまざまな材質のキット・プレーンを作ってきましたが、金属が一番丈夫で長持ちすると思っていました。金属製の機体であれば10年どころか50年持つ機体だと思い、ずっと飛び続けるならこんな機体を作りたいなと思ったんです」。

 その後、藤田さんは、英語が出来る友人に協力してもらい、Eメールでハンメル氏に連絡を取ります。最初に購入したのは解説ビデオ付きの図面と材料のキットでした。しかし、この時点で図面はすべて完成しておらず、なんと数回に分けて送られてきたそうです。さらに届いた図面とビデオを比べると、いろいろと内容に違いがあり、それだけで飛行機を作るのは困難でした。

 最終的に藤田さんはハンメル氏に会いに渡米し、実機を前にハンメル氏から直接説明を受け、必要なパーツ類を購入して日本に送ってもらえることになりました。ちなみに機体一式の値段は当時で150万円(送料込み)程度だったそうです。

【写真】これが「お茶の間で飛行機組み立て」驚愕シーン&操縦席です

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