「ゆりかもめ」はなぜ“新橋”起点? そもそもなぜ“無人”? コミケと“運命共同体”と呼べる、そのヒミツ
東京の都心と臨海副都心を結ぶ新交通システムが「ゆりかもめ」です。レインボーブリッジを経由し、お台場や有明へのアクセス路線として機能していますが、どのような経緯で整備されたのでしょうか。
都市博に向けて整備
世界最大級の同人誌即売会「コミックマーケット」は今冬、1975(昭和50)年12月の第1回から50周年の節目を迎えます。規模の拡大に合わせて会場を変更してきましたが、1996(平成8)年夏からは同年に開業した東京ビッグサイト(東京国際展示場、東京都江東区)で開催しています。それから約30年、同館は全国から数十万人が集う「オタクの聖地」ともいうべき存在になっています。
コミケに限らず、ビッグサイトではジャパンモビリティーショー(旧東京モーターショー)、東京おもちゃショー、国際鉄道模型コンベンションなど、年間約300件のイベント、展示会、見本市が開催され、年間約1300万人が訪れています。
そんな人々を都心から臨海副都心に運ぶ軌道系交通が、新交通「ゆりかもめ」と東京臨海高速鉄道「りんかい線」です。新橋~豊洲間を結ぶゆりかもめは埋立地(お台場・青海・有明)内の短距離交通、埼京線と相互直通運転を行うりんかい線は新木場・池袋・新宿・渋谷方面からの広域ネットワークを担っています。
ゆりかもめ(新橋~有明)は1995(平成7)年11月1日、りんかい線(新木場~東京テレポート)は1996年3月30日に開業しました。1996年3月から10月までお台場で開催が予定されていた世界都市博覧会に間に合わせる開業スケジュールでしたが、建設中に博覧会は中止となり、開業からしばらくは閑散とした埋立地を走ることになりました。
臨海副都心開発構想は1980年代に具体化しました。1979(昭和54)年に就任した鈴木俊一都知事は都心一極集中だった業務機能を多心型構造へ転換すべく、池袋・新宿・渋谷に続く副都心の育成に着手。その目玉として高度情報通信基地を備えたインテリジェント・ビジネスセンターを「13号埋立地(お台場)」に整備する「東京テレポート構想」を1985(昭和60)年に決定しました。
都市開発の第一歩は交通機関の整備です。東京都は1985年に鉄道工学者の八十島義之助氏を委員長とする東京臨海部新交通システム計画委員会を設立し、新しい副都心の育成を目的とした公共輸送機関の検討に着手しました。




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