「お巡りさん違うんです!!」 駅のベンチで寝転がるも“不審者にあらず”!? 令和乗り鉄が知らない「駅寝」の世界

ホテルは高価で、お小遣いも少なかった若者たちは、雨風をしのげる場所ならどこでも良かった……その結果として生まれたのが「駅寝」です。かつてはそのためのガイドブックまで登場したものの、現在そのような光景を見かけることはほぼありません。

凍えながら始発を待った夜の思い出

「駅寝」とは、文字通り「駅で寝る」ことを指す俗語で、「駅泊」ともいいます。今では流行らないというか、小さな駅でも有人駅ならば追い出されますし、無人駅でも巡回中の警察官に追い出されそうなうえ、付近の住民から不審者として通報されそうです。最近は熊も出没しているため、人里離れた駅でもオススメできません。

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駅のベンチで終電を寝過ごして、そのまま始発を構内で待つことも。写真は駅の待合室のイメージ(画像:PIXTA)

 かつて、昭和の乗り鉄には「駅寝」をやる人がいました。終電で駅に着いて、始発まで駅で過ごす。待合室やプラットホームのベンチなどで寝るから「駅寝」です。

「駅寝」には二つの理由があります。一つは「仕方なく駅で寝る」です。周辺に安い宿泊施設がないとか、乗り継ぎの都合でその駅に泊まらざるを得ないとか。もう一つは、「駅寝」そのものが目的の旅。手段が目的になってしまう。乗り鉄には良くあることです。

 筆者(杉山淳一:鉄道ライター)も、そんな「仕方なく駅で寝る」を一度だけやったことがあります。1983(昭和58)年9月28日から29日にかけて、北海道の宗谷本線の美深駅でした。札幌21時25分発の夜行急行「利尻」に乗って、2時37分に美深に着き、それから7時5分発の美幸線の始発列車に乗るためです。当時の美幸線は1日に4往復しか列車を運行しておらず、しかも午前中の列車はこれだけでした。

 当時は、国鉄の赤字線がバタバタと廃止になっており、私は北海道ワイド周遊券で廃止予定の路線を巡っていました。他の路線を巡る都合で、どうしても美幸線は始発列車で往復したかった。しかし、ちょうど良い接続列車は名寄6時25分発の普通列車だけで、これでは宿泊費がもったいない。北海道ワイド周遊券は特急や急行の自由席に乗れたので、「利尻」の自由席に乗り、深夜に美幌駅に着いた次第です。

 さて、美深駅に着いて、始発列車が出るまで約4時間半もあります。駅の外へ出ようにも、扉を開けると霧で視界がありません。まるで白い闇で、一歩踏み出すだけで落ちていきそうな気がしました。足もとも見えないので待合室に引き返し、ジュースの自動販売機の明かりで星新一のショートショート集を読んで過ごしました。

 寝過ごしたら困るので寝袋などの「装備」は持たず、厚着で寒さに震えながら朝を待ちました。9月末の道北はもう冬が始まっていた気がします。待合室のストーブはとっくに火が消えていて、自販機の近くだけが少しだけ暖かく感じました。駅寝どころか、寝たら死ぬと思いました。

 当時、美深駅は有人駅でした。「利尻」が発車して1時間くらい経ったとき、駅員さんが様子を見に来ました。今思えば、高校生が一人で居残りしているので、迎えが来ないと心配したようです。私が「美幸線の始発を待ってます」というと納得して事務室に戻っていきました。そんな乗り鉄が何人もいたのだろうと思います。

 空が明るくなったので駅の外に出てみると、霧が晴れて、ほんのちょっとの段差があり、小さな駅前広場が見えました。これが私の駅寝、というより、夜明かしの記憶です。

【「日本一の赤字線」の昔と今】美幸線のありし日と現在の風景(写真)

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