「帰れ」と合図したのに… 米軍パイロットが語る「特攻機」迎撃のリアル F6F「ヘルキャット」から見た悲しき空戦
太平洋戦争中、アメリカ空母「エセックス」に乗り組んだF6F戦闘機パイロットのバニー・ドーリング元少尉の手記を紹介します。特攻機として沖縄を目指す日本軍機を操っていたのは、技量未熟な若き兵士たちでした。
この記事の目次
・イヤな感じ
・ハンターの嘆き
・心痛む一撃
イヤな感じ
※本記事は月刊『丸』(潮書房光人新社)1978年6月号に掲載された元米海軍戦闘機パイロットのバニー・ドーリング元少尉の手記を抜粋・編集したものです。
朝鮮戦争初頭に、着艦時のアクシデントで、左腕複雑骨折により退役するまで、私は、あの有名なグラマンF6Fを駆って、大空を飛びまわった。
1945年の沖縄戦のときには、中部太平洋方面の第38空母機動部隊の航空母艦「エセックス」に乗艦し、第13航空グループに配属し、少尉だった。
今はもう58歳(1978年当時)になるが、カミカゼのことは昨日のことのように覚えている。ゼロ(零戦)との空中戦もずいぶんやったが、カミカゼを攻撃するときが1番嫌だった。
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Writer: 月刊「丸」編集部
1948(昭和23)年2月に創刊した、80年近い歴史をもつ月刊誌。第二次世界大戦における戦争体験者の生の声を収集し、大戦当時の貴重な写真を掲載。発刊元は株式会社潮書房光人新社。




