「列車から電話」昭和時代はどうしてた? 面倒だった「公衆電話以前」 金額も超高額!
携帯電話の普及により、新幹線の公衆電話は2021年6月にサービスが終了しました。かつて重要な役割を担った鉄道の電話には、どのような歴史があったのでしょうか。
駅は情報も交差していた
最近、公衆電話をすっかり見かけなくなりました。ユニバーサルサービスとして設置が義務付けられている第1種公衆電話の設置基準も2022年に変更され、10.9万台から3万台まで削減予定です。携帯電話の世帯普及率は97%超なので仕方のない話ですが、時代の変化を感じます。
オフィスビルや商業施設など利用が見込まれる場所に設置する第2種公衆電話はさらに急激に減少しており、ピークの80万台から現在は3万台程度に縮小しています。公衆電話は今後、最低限の通信網を維持しつつ、避難所に設置する災害用設備として生き残っていくようです。
公衆電話はかつて新幹線の車内にも設置されていました。といっても完全廃止されたのは2021年6月なので、使った経験はないまでも、見かけたことがある人は多いでしょう。鉄道における「列車電話」の歴史とはどのようなものだったのでしょうか。
19世紀半ばに実用化された鉄道と通信(電信)は、近代化と産業化の立役者です。電信ははじめ、鉄道会社の協力で線路に沿って設置されました。鉄道もすぐに電信を列車運行に活用するようになり、独自の通信網を構築していきます。
このため明治期の日本の象徴「逓信省」は、鉄道と電信・電話の両方を管轄しており、1900(明治33)年に誕生した日本初の公衆電話は東京の上野駅と新橋駅に設置されました。駅は人、モノ、そして情報が交差する拠点だったのです。
しかし列車内からの通信は容易ではありません。昭和初期の取扱い規程を見ると、車掌が乗客から電報の発信を依頼された場合、最も近い電報取扱駅で駅員(電信係)に引き渡し、駅から送信していたそうです。
日本では1925(大正14)年に鉄道省が列車電話の試験を行った記録がありますが、実用化は近鉄が1957(昭和32)年に特急専用車で、国鉄では1960(昭和35)年に東海道本線特急「こだま」「つばめ」でそれぞれ開始したのが最初です。業務用を基本としながらも、一般回線に接続が可能で、近鉄は大阪市・名古屋市、国鉄は東京都・横浜市・名古屋市・京都市と通話ができました。
国鉄の場合、列車内から電話をかけたいときはビュッフェの電話掛に申し出ます。電話掛は列車電話で交換台の交換手に電話番号を伝え、相手を呼び出します。料金は地上との距離に応じて100~400円で、その場で係員に支払います。現在の貨幣価値で1000~4000円という高級サービスでした。
ビュッフェが忙しいときは電話掛がいなかったり、対応が悪かったりという問題もあったようで、しかも電話室はビュッフェ店員のロッカースペースを転用したため、店員からも評判が悪かったそうです。





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