たけし“乗り換えだらけの通学経路”振り返る ただ在学中に劇的改善!? なにが起きた?
タレントのビートたけしさんは2026年3月8日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)で、かつて明治大学生時代に体験した過酷な乗換について語りました。
北千住だいぶ手前から代々木上原まで…
タレントのビートたけしさんは2026年3月8日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)で、かつて明治大学生時代に体験した過酷な乗換について語りました。
番組では今回、「トラブルで大混乱!?東京の交通網」と題し、大規模災害時での東京の交通網の脆弱性についての調査結果などの話題を扱いました。
その際、たけしさんは鉄道の話になった際に、明大工学部在籍時の通学経路について「明大の工学部ってのは、生田なんだよね小田急線なんだよ。俺、当時、(自宅が)梅島って東武線の北千住のだいぶ手前にあったのよ」と話しだしました。
続けてたけしさんは「だから、(梅島から)東武線で乗って北千住で乗り換えて、日暮里に出て。日暮里から山手線に乗って新宿出て、新宿から小田急線に乗って生田に行ったの」と、当時は何度も乗り換える必要があったと明かし、共演者の阿川佐和子さんも「大変…」と返していました。
ただ、その状況が地下鉄により改善されたとのことで「それが(大学)2年か3年の頃に地下鉄でつながっちゃうんだもん」と回想しました。
この北千住駅(東京メトロ千代田線)と小田急線代々木上原駅の直通運転は、1978年3月31日に開始されました。千代田線は1962年の都市交通審議会の第6号答申で「8号線」に位置付けられ、「喜多見~原宿~永田町~日比谷~池之端~日暮里~松戸」というルートで整備されることが決まっており、当初から小田急線と常磐線への乗り入れ構想がありました。
一方、小田急側も千代田線への乗り入れを見越して、貫通路や難燃性などを備えた新型車両の製造を進め、1972年には「9000形」がデビュー。ワイドで傾斜のついた前面窓や、中段に位置するライトなど斬新なデザインで注目を集めることになりました。





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