本当に「コンビニもない」? 東海道新幹線・岐阜羽島駅、その大きな役割とは
「岐阜羽島は政治駅」はウソ? 「異常」が想定された岐阜羽島駅
この岐阜羽島駅は、「政治家の力によって駅ができた」という噂も存在しました。駅前には岐阜羽島駅の誘致に尽力したとされる地元選出の政治家、大野伴睦夫妻の銅像も建っています。
岐阜羽島駅は1964(昭和39)年、東海道新幹線(東京~新大阪)開業時に新横浜、小田原、熱海、静岡、浜松、豊橋、名古屋、米原、京都の各駅とともに設けられた途中駅のひとつです。開業当時における北口の写真を見ると、「なぜここに新幹線の駅?」という疑問も分からなくはない、静かな風景が広がっています。
そうしたことから、かつて「岐阜羽島は政治駅」という噂がたったのかもしれませんが、実はこの駅、ある役割をもってつくられました。
JR東海の元会長である須田 寛さんの著書『東海道新幹線II』(JTBパブリッシング)によると、「関ケ原付近(編注:岐阜羽島~米原間)の積雪に備えて名古屋、米原の中間に除雪車両の基地、除雪列車(機械)の折返し設備が必要であり、たまたま岐阜県下にも一駅を設ける要請があってそこに駅を併設した」とあります。
また公益財団法人 交通協力会『新幹線50年史』によると、「この駅は関ヶ原の急勾配区間を控えていることから、故障車の留置線を2線設置できるように考慮」とあります
このように、岐阜羽島は関ヶ原の雪や異常時のことも想定しつくられた駅で、東海道新幹線の中間駅としては規模が大きく、4列車までホームに停車可能。大雪や、また今回のような異常時における列車の留置などに対応できます。
ちなみに羽島市の広報係によると、再開発や企業誘致などにより、10年前と比べて岐阜羽島駅の周辺は非常に発展し、飲食店なども増えたそうです。
【了】
須田 寛さんの著書は読んでいないのでどのような意図で書かれたのかはわかりませんが、政治駅であるのは本当です。確かに岐阜県に駅を1か所作ることと関ヶ原の雪への対応は当初の計画から決まっていました。その駅は大垣に作ることに決まっていました。人口からも駅へのアクセス(大垣市内を新幹線は通っていますので)からも誰から見ても妥当であると思われていました。それを大野伴睦が無理やり地元の羽島市に移させたのが実態です。そのためそれ以来大野伴睦の大垣市での得票はどの候補者よりも低いものとなりました。現在の羽島市の状況からみても羽島に駅を作ったのは疑問です。
「岐阜県のどこかに駅が必要」の「どこか」を「羽島」にしたのが大野さんの政治力、という意味での政治駅ですね。ただ、岐阜県に停めた事自体は必要があっての事なので、その意味では政治駅ではないですね。(奥津軽いまべつや安中榛名などと同様か)
せっかく出来た駅なら、地元ももっと活用すればいいのに。
UCCの喫茶店が目立ち、
ビジネスホテルがあって便利だ!
タクシーも常に停まっている!
側に名鉄があるが、各駅停車専用なので待ち時間も長く出発も直ぐに行かないので急ぐ人には乗るだけ時間の無駄!
名古屋まで新幹線しかなく1駅だが、片道1000円は取られる!
物価も安く、アパートの家賃も昭和50年代並みのままだ!
所得が低い人は、住民税を全額免除してくれる!
岐阜出身の芸能人は、鈴木ちなみ!
そもそも、現行のルートが「我田引鉄」だったと聞いた記憶があります。
亀山あたりを通過する計画だったのが、豪雪地帯を通るルートにされたとか。
岐阜羽島駅前に銅像があるせいもあり、長い間「本来駅が設置されないはずのところに、無理やり大野伴睦が駅を作らせた」という「政治駅伝説」が流布されていますが、これは間違いです。
岐阜羽島駅は建設されることは雪害対策から決まっていました。しかし、岐阜県は「岐阜駅に新幹線を止めないなら新幹線の県内通過にには一切協力できない」という態度でした。
そこで、国鉄は一計を案じ、大野伴睦に「先生の力で駅が出来たと言って構いませんので、岐阜羽島駅建設に協力してください」と頼みました。大野は陳情に来た地元民に「国鉄は岐阜県には駅を作らんと言ってきたので、駅を作らんなら新幹線には協力できないと叱ってやった」と話しました。そして、ある程度時間が経って「国鉄が羽島なら駅を作ると言ってきた。俺の顔も立ててくれ」と地元に説明して収めました。地元では「大野先生の力でも岐阜駅は無理だった。羽島駅が出来ただけでも、大野先生の力のおかげ」と感謝して銅像を作った、というのが真実です。東海道新幹線は東京五輪に間に合わせることが至上命題だったので、大野の尽力がなければ開通していなかったかもしれません。
政治駅云々を言うなら、筑後船小屋駅が最も露骨と思います。また仙台駅粘着も、日本全体を考えれば途中から変更するべきではなかった。
詳しく説明いただいてありがとうございます。ただ われわれが聞いていた状況とは少し異なっています。岐阜県に駅を作ることは国鉄の中では決まっていたようです。ただ場所は未定でした。地元の皆は大垣に駅が作られるものと思っていました。しかし実際には羽島になっていました。現在もあまり活用されていないのは羽島では場所があまりにも不便で(開通当時は名鉄もない) どう見ても政治駅としか思えない状況でした。その後 大野伴睦はCorplandさんが書かれたように自分が岐阜県に駅を作ることにしたのだといかにも自分の功績であるかのように選挙等で演説しています。羽島に駅を作ったのは大野伴睦への国鉄の忖度があったのかもしれませんが、岐阜県に駅ができたのは彼の力ではないと地元では思われています。もし大野伴睦が岐阜県のこと 人々の利便性を考えていたら羽島には駅を作らなかったのではないかと思います。大野伴睦もたいした政治家ではなかったのでは。
名古屋方面への通勤需要にも視野に入れていますね。