JASとはなんだったのか 国内航空会社の歴史から振り返るその成立と消滅

3大航空会社体制への経緯とは?

 ローカル路線を運営していた富士航空と日東航空、北日本航空が国の指導により1964(昭和39)年4月に合併し日本国内航空が設立されます。同社はボーイング727やコンベア880などジェット機を導入し、積極的な経営展開を見せますが、1964(昭和39)年10月に開業した新幹線や、日本航空、全日空との競争に苦戦し、そのことから国は1966(昭和41)年5月に、閣議決定により日本航空との合併を進めます。一方、大阪を中心にローカル線を展開していた東亜航空も、全日空との合併計画が持ち上がります。

 ところが、1967(昭和42)年から日本国内航空の経営状況が回復し、東亜航空も経営が黒字となったため、国は1970(昭和45)年に日本国内航空と東亜航空の合併へ変更。こうして1971年(昭和46)年にJASの前身となる東亜国内航空(TDA)が設立されました。三大航空会社体制の誕生です。

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主に地方路線で活躍したMD-87(画像:JAL)。

 翌1972(昭和47)年、国は事業路線割り当てを実施。日本航空は国内幹線と国際線、全日空は国内幹線とローカル線、東亜国内航空はローカル線を担うことになります。こうして、産業保護政策によって日本の航空会社は住み分けがなされることになりました。

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コメント

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5件のコメント

  1. 合併後のJAL社員による元JAS社員へのイジメの歴史も書いてほしかったですね。

    「痕跡」は、書かれているようないい話ばかりではありません。

    その前にANAに合併を打診したところ、蹴られたこともありましたっけ。

  2. 合併したら元社員同士もめるのは当然のことです。
    JASに関しては瀕死だったのをJALと合併して、それからJALは足を引っ張られ、とうとう破綻してしまった。
    本来なら合併じゃなくて、良くても吸収か、あの状態ではJASが経営破綻すべきだったのです。
    なのに、合併後は大きな顔してJALの悪口ばかり………そら、いじめられますわね。
    一体誰のおかげであなた達はこの会社で働けてるの?って。
    確かにJALは変な会社ですが……今も。
    経営破綻後は優秀なJ社員は他社に買われて行きましたが、今、残ってるのは、残りカスの社員、それも多くは元JAS社員です。
    JALと言うけど今のJALは旧JASです。
    ですから一見、回復してるようですが、中身は全然、質も最悪の状態です。

  3. なんだかもと身内どうしでくだらない争いやってるようですけど…

    誤解を恐れず言わせてもらえば、日本の航空界は3社体制だったころのほうがマシだった。
    いまはJALとANAの政官巻き込んだくだらない争いばっかり。
    LCCやら新規参入やらで話題にもなったが、総じて航空サービスは安かろう悪かろうものになった。

    JASが独立航空会社のまま続いてりゃ、スターアライアンスはANA、ワンワールドはJAL、スカイチームはJASと完全に棲み分けできていたろうにな。

  4. Why not? JAS!

  5. JASがJALに経営統合されたのはそのまま行けば経営破綻することが見えていたので、JALかANAにくっつけようという航空局(運輸省)と私利しか頭にない兼子JAL社長と舩曳JAS会長の利害が一致して統合したと思っています。ANAは断ったと聞いていますが当たり前ですよね、あんな泥船を。既に癌を患っているJALに癌だと分かっている肝臓を生体肝移植したようなもの。JASを吸収ならまだ一縷の望みはあったかもしれないが、統合という名の合併を考え、それを受け入れた経営者の無責任さと能力のなさには呆れてものが言えない。参考までにダグラス主体のJASの機材なんてもう必要なかったし、777のキャビンエンターテインメントシステムも子供だましで故障だらけ、不動産なら更地の方がありがたい、そんな感じだった。路線だけあれば人も機材も要らないと思った。