JASとはなんだったのか 国内航空会社の歴史から振り返るその成立と消滅

かつて日本には「三大航空会社体制」と呼ばれる時代がありました。「45/47体制」とも呼ばれたその時代、3社の一角を担っていたのがJASです。JASはいかに成立し、そして消えていったのでしょうか。

日本のローカル線を支えた日本エアシステム

 2017年現在、日本の航空会社は海外資本のLCCなども含めて増え続けていますが、かつて日本の航空路線は、JAL(日本航空)とANA(全日空)、そしてJAS(日本エアシステム)の三大航空会社で占められていた時代がありました。

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国内の幹線で活躍したJASのエアバスA300(画像:JAL)。

 JASは日本のローカル路線を中心に、中国や韓国へ国際線も運航していましたが、JALとの経営統合で2004(平成16)年に消滅します。

 そもそもJASはどのように誕生し、そしてなぜ消滅したのでしょうか。

日本の民間定期航空路線、始まりは大正時代

 JASの誕生背景には、もちろん、そこに至る日本の民間航空事情があります。

 日本の民間定期航空路線は1922(大正11)年、日本航空輸送研究所によって大阪~徳島と大阪~高松間で定期航空便が開設されたことからスタートしました。その後、1939(昭和14)年に戦時下の国策会社として大日本航空が設立され、ほかの民間航空会社は業務を停止します。

 太平洋戦争後、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により全ての日本国籍の航空機の運航が停止され、これは1950(昭和25)年6月まで続きます。同時に、日本での航空会社の設立も認められませんでした。その間、日本へ乗り入れのあった連合国の航空7社が、国内線を開設しようという動きがありましたが、日本政府がこれを拒否しGHQに認められます。

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コメント

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5件のコメント

  1. 合併後のJAL社員による元JAS社員へのイジメの歴史も書いてほしかったですね。

    「痕跡」は、書かれているようないい話ばかりではありません。

    その前にANAに合併を打診したところ、蹴られたこともありましたっけ。

  2. 合併したら元社員同士もめるのは当然のことです。
    JASに関しては瀕死だったのをJALと合併して、それからJALは足を引っ張られ、とうとう破綻してしまった。
    本来なら合併じゃなくて、良くても吸収か、あの状態ではJASが経営破綻すべきだったのです。
    なのに、合併後は大きな顔してJALの悪口ばかり………そら、いじめられますわね。
    一体誰のおかげであなた達はこの会社で働けてるの?って。
    確かにJALは変な会社ですが……今も。
    経営破綻後は優秀なJ社員は他社に買われて行きましたが、今、残ってるのは、残りカスの社員、それも多くは元JAS社員です。
    JALと言うけど今のJALは旧JASです。
    ですから一見、回復してるようですが、中身は全然、質も最悪の状態です。

  3. なんだかもと身内どうしでくだらない争いやってるようですけど…

    誤解を恐れず言わせてもらえば、日本の航空界は3社体制だったころのほうがマシだった。
    いまはJALとANAの政官巻き込んだくだらない争いばっかり。
    LCCやら新規参入やらで話題にもなったが、総じて航空サービスは安かろう悪かろうものになった。

    JASが独立航空会社のまま続いてりゃ、スターアライアンスはANA、ワンワールドはJAL、スカイチームはJASと完全に棲み分けできていたろうにな。

  4. Why not? JAS!

  5. JASがJALに経営統合されたのはそのまま行けば経営破綻することが見えていたので、JALかANAにくっつけようという航空局(運輸省)と私利しか頭にない兼子JAL社長と舩曳JAS会長の利害が一致して統合したと思っています。ANAは断ったと聞いていますが当たり前ですよね、あんな泥船を。既に癌を患っているJALに癌だと分かっている肝臓を生体肝移植したようなもの。JASを吸収ならまだ一縷の望みはあったかもしれないが、統合という名の合併を考え、それを受け入れた経営者の無責任さと能力のなさには呆れてものが言えない。参考までにダグラス主体のJASの機材なんてもう必要なかったし、777のキャビンエンターテインメントシステムも子供だましで故障だらけ、不動産なら更地の方がありがたい、そんな感じだった。路線だけあれば人も機材も要らないと思った。