JASとはなんだったのか 国内航空会社の歴史から振り返るその成立と消滅
規制緩和、国際線参入…そして消滅へ
「45/47体制」と呼ばれた住み分け政策ですが、増大する航空需要に対応するため1985(昭和60)年に政府は方向を転換、航空行政の規制緩和を行います。
全日空は1986(昭和61)年に成田~グアム路線を就航させ国際線に進出。次いで東亜国内航空は、1988(昭和63)年に東京~ソウル間で国際線定期便を就航させ、社名を日本エアシステム(JAS)へと変更しました。
独特のサービス展開を行いJALとANAに対抗したJASですが、赤字続きで採算が取れない多くの地方路線を抱えていたことや、2001(平成13)年のアメリカ同時多発テロによる旅客数の激減などにより経営不振に陥ります。2002(平成14)年には日本航空と経営統合、そして2004(平成16)年、JASの便は全てJAL便となり、かくしてJASは事実上消滅しました。
JALへの経営統合でJASが消滅してすでに13年が経過しましたが、その痕跡はいまなお見ることができます。
たとえばJASは国内線で初めて3クラスシートを設定、それまでなかったミドルクラスシートとして「レインボーシート」を導入しました。これは同社が1997(平成9)年にボーイング777を導入した際に新設したもので、エコノミークラスの料金にプラス1000円(サービス開始当初は2500円)という手軽さで利用できるというものでした。JALとの統合後も「レインボーシート」のコンセプトは引き継がれ、JALにおいて「クラスJ」としてサービスが開始されました。
また、国内線で初めて全席にモニターを備えた機材を導入したのもJASでした。これは、現在スターフライヤーが同じサービス展開させています。
戦後の航空行政で誕生し、歴史に消えていったJASですが、その独特のサービスやコンセプトは形を変えて現在も引き継がれているのです。
【了】
Writer: 石津祐介(ライター/写真家)
専門誌を中心に、航空機の取材、撮影を行うライター、写真家。国内外を問わず世界各地の空港やエアショーなど取材。航空機以外にも野鳥、アウトドア、旅行など幅広いジャンルの取材を行っている。
合併後のJAL社員による元JAS社員へのイジメの歴史も書いてほしかったですね。
「痕跡」は、書かれているようないい話ばかりではありません。
その前にANAに合併を打診したところ、蹴られたこともありましたっけ。
合併したら元社員同士もめるのは当然のことです。
JASに関しては瀕死だったのをJALと合併して、それからJALは足を引っ張られ、とうとう破綻してしまった。
本来なら合併じゃなくて、良くても吸収か、あの状態ではJASが経営破綻すべきだったのです。
なのに、合併後は大きな顔してJALの悪口ばかり………そら、いじめられますわね。
一体誰のおかげであなた達はこの会社で働けてるの?って。
確かにJALは変な会社ですが……今も。
経営破綻後は優秀なJ社員は他社に買われて行きましたが、今、残ってるのは、残りカスの社員、それも多くは元JAS社員です。
JALと言うけど今のJALは旧JASです。
ですから一見、回復してるようですが、中身は全然、質も最悪の状態です。
なんだかもと身内どうしでくだらない争いやってるようですけど…
誤解を恐れず言わせてもらえば、日本の航空界は3社体制だったころのほうがマシだった。
いまはJALとANAの政官巻き込んだくだらない争いばっかり。
LCCやら新規参入やらで話題にもなったが、総じて航空サービスは安かろう悪かろうものになった。
JASが独立航空会社のまま続いてりゃ、スターアライアンスはANA、ワンワールドはJAL、スカイチームはJASと完全に棲み分けできていたろうにな。
Why not? JAS!
JASがJALに経営統合されたのはそのまま行けば経営破綻することが見えていたので、JALかANAにくっつけようという航空局(運輸省)と私利しか頭にない兼子JAL社長と舩曳JAS会長の利害が一致して統合したと思っています。ANAは断ったと聞いていますが当たり前ですよね、あんな泥船を。既に癌を患っているJALに癌だと分かっている肝臓を生体肝移植したようなもの。JASを吸収ならまだ一縷の望みはあったかもしれないが、統合という名の合併を考え、それを受け入れた経営者の無責任さと能力のなさには呆れてものが言えない。参考までにダグラス主体のJASの機材なんてもう必要なかったし、777のキャビンエンターテインメントシステムも子供だましで故障だらけ、不動産なら更地の方がありがたい、そんな感じだった。路線だけあれば人も機材も要らないと思った。