実は一度だけ復活した「幻のホーム」 空襲が生み出した銀座線新橋駅の歴史
銀座線の新橋駅に残る「幻のホーム」は、鉄道ファンのみならず一般の人にもよく知られた存在です。このホームは戦前のわずか8か月間しか使われなかったといわれていますが、実は戦時中には期間限定で「復活」したことがあります。
有名な旧ホームに隠されていたエピソード
東京メトロ銀座線の新橋駅(東京都中央区)には、使われていない「幻のホーム」が存在しています。
このホームは映画やアニメの舞台としてもたびたび描かれていますし、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の時代から定期的に一般公開イベントが行われてきました。鉄道ファンのみならず、一般の人にも知名度の高い「鉄道遺構」かもしれません。
現在、幻のホームは新橋駅大規模改良工事の資材・機材ヤードとしても使用されているため、地下鉄開業90周年イベントでの一般公開は行われませんでした。ただ、銀座線リニューアル計画のデザインコンペの一部門として「幻のホーム活用アイデア」を募るなど保存・活用方法が検討されており、近い将来には常設の一般公開が期待されます。
さて、このホームが「幻」と呼ばれる由縁は、1939(昭和14)年1月15日から9月15日までの8か月間しか使われなかったことにあります。その後は二度と表舞台に登場することなく歴史のなかに消えていったと語られるこのホームですが、実はその後一度だけ、やむを得ない事情で営業運転に使われたことがありました。
それは東京が戦場だった時代、戦争がもたらした悲劇のエピソードでした。
2社の地下鉄建設が「幻のホーム」生み出す
そもそも幻のホームはどのように誕生し、なぜ幻になったのでしょうか。その謎を解く鍵は銀座線の出自にありました。
銀座線はもともと一本の路線だったわけではありません。東京地下鉄道が1927(昭和2)年から1934(昭和9)年にかけて開業させた浅草~新橋間と、東京高速鉄道が1938年(昭和13)年から1939(昭和14)年にかけて開業させた新橋~渋谷間が、新橋駅で接続することで形成された路線です。
「地下鉄の父」こと早川徳次が率いる東京地下鉄道は、浅草~新橋間の第1期線工事に引続き、品川~五反田方面への延伸を構想していました。
一方、のちの東急グループ創始者である五島慶太が率いる東京高速鉄道は、東京市から譲り受けた渋谷~東京間の免許を、渋谷~新橋間に変更して東京地下鉄道への直通運転を求めます。東京の地下鉄の主導権を巡って激しく対立した両者が顔を突き付けあったのが新橋でした。
初めに新橋まで開通したのは東京地下鉄道で、1934(昭和9)年6月に東海道線新橋駅の東側に島式ホームとして開業しました。このホームは現在も銀座線新橋駅の渋谷方面行ホームとして使われています(浅草方面行きホームは昭和50年代に増設)。
対する東京高速鉄道は1935(昭和10)年に渋谷~新橋間を一気に着工すると、1939(昭和14)年1月に東海道線新橋駅の西側に自社の新橋駅を開業し、渋谷~新橋間を全通させました。この東京高速鉄道新橋駅が幻のホームです。
工事の遅れがきっかけだったホームの暫定使用
両者のホームは東海道線の高架線を挟んで向かい合うように位置していますが、配置されているフロアは異なります。渋谷方面から線路を直進すると、つまり本線を進むと地下2階から地下1階に上っていって、頭端式の東京高速鉄道新橋駅に到着します。
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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx