谷を埋めたり遊休地を譲り受けたり 苦労が絶えなかった地下鉄車庫の用地確保

ビルが密集している都心の地下を貫く地下鉄の整備では、車両基地の建設用地を確保するのがひじょうに難しいといえます。これまで建設されてきた地下鉄の車両基地は、どのように建設されたのでしょうか。

車庫は地下鉄建設における最大のネック

 朝ラッシュ時に最短2分間隔で運行する通勤路線では、使われている車両の数も桁違いです。たとえばJR東日本は山手線が52編成で計572両、京浜東北線は82編成の計820両もあります。東京メトロ東西線も520両の電車が在籍しています。

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車両基地は広大な敷地がなければ建設できない。写真は小田急多摩線の唐木田車両基地(2011年11月、草町義和撮影)。

 とはいえ、保有車両が総動員されるのは朝のラッシュ時だけ。それ以外の時間帯は多くの車両が車庫で待機していますし、終電後は翌日の運用に備え、外泊する車両以外はすべて車庫に戻ってきます。

 車両はおおよそ幅3m×長さ20mですから、1両当たり60平方m。それを数百両保有し、さらに検査や修繕などを行う設備を備える車両基地は相当の面積が必要になります。実際には1路線1車両基地というわけではなく、ひとつの車両基地を複数の路線で共用したり、運用の効率上沿線に複数個所の車両基地を設けたりするのが一般的ですが、どの鉄道会社も車両基地の設置や運用、再編には苦労が多いと言われています。

 これが地下鉄となればなおさらのこと。地下鉄はほとんどがほかの地下鉄路線と接続せずに独立しているため、路線ごとに車両基地を作らねばなりません。地下鉄の特性上、路線は都心に集中しているので、まとまった用地の確保には莫大な費用が必要となりますし、いくら大金を積んでも土地を確保できないこともあります。

 現在は路線網も郊外に広がり、相互直通運転先に車庫を用意するケースも出てきていますが、都心だけ走っていた黎明(れいめい)期の地下鉄は一体どのように車庫を確保してきたのでしょうか。今回は銀座線、丸ノ内線、日比谷線の車庫にまつわるエピソードをご紹介いたします。

仮設だった銀座線の上野車両基地

 日本最古の地下鉄・銀座線を開業以来支えているのが上野車両基地(東京都台東区)です。JR上野駅にほど近く、民家や低層ビルが立ち並ぶ一角にある非常に小さな基地ではありますが、全車両のちょうど半分にあたる20編成120両を収容できる機能を備えています。

 最初の開業区間である上野~浅草間は当時、東京最大の繁華街。車庫の用地確保には大きな苦労が予想されましたが、思いのほか簡単に買収することができたといいます。というのも、着工の1年半前に発生した関東大震災による火災で下町は壊滅。これを機に大規模な区画整理が行われていたため、約6000平方mのまとまった土地を購入することができました。

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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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