【都市鉄道の歴史を探る】戦前に考えられた東京の「地下急行線」構想
日本の地下鉄を走る列車の多くは各駅停車。途中駅を通過する急行列車は少数派です。しかし、戦前には急行列車専用の地下鉄路線を建設しようと提案した人がいました。
「複々線」が少ない日本の地下鉄
首都圏や関西圏のJR線では、各駅停車が走る緩行線と、快速や中距離電車が走る急行線が分離された複々線区間が多く存在しています。その設備を最大限活用することで、高速かつ大量輸送を可能にしているのです。
一方、私鉄で10km以上の複々線区間を有する路線は、東武鉄道の伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と京阪電鉄の京阪本線、小田急電鉄の小田原線のみ。地下鉄の複々線区間となればさらに珍しく、東京メトロが運営する有楽町線と副都心線の小竹向原~池袋間、銀座線と半蔵門線の渋谷~青山一丁目間の2区間しかありません。
これに対して、日本のJR線以上の規模の複々線を有する地下鉄として有名なのが、米国のニューヨーク地下鉄です。マンハッタン島を中心に複数の路線が長大な複々線区間を有しており、最大4複線の区間まで存在するほど。この設備を活用することで、急行運転や24時間運転を実現しています。
ニューヨーク地下鉄に強い影響を受けていた日本の地下鉄は、なぜ複々線化や急行線の設置をしなかったのでしょうか。実は地下鉄計画の議論を振り返れば、そうした構想を発表していた人が全くいなかったわけでもありません。
今回取り上げるのは、そうした地下鉄構想のうちのひとつ。当時東京地下鉄道所属で、のちに帝都高速度交通営団の技師となった須之内文雄氏が1940(昭和15)年1月に土木学会誌に発表した論文「東京市に於ける高速鉄道の計画に就いて」です。
計画修正で建設の「順番」決まらず
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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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