【都市鉄道の歴史をたどる】戦時中に行われた「時差通勤」 その効果はあったのか

東京都が「満員電車の解消」を目指して実施している時差通勤キャンペーン。しかし発想自体は新しいものではなく、日本では戦時輸送の改善策として実施されたことがありました。実際に混雑の分散効果はあったのでしょうか。

東京都知事の「肝いり」プロジェクト

 東京都が2017夏から推進している時差通勤キャンペーン「時差Biz」は、満員電車の解消を公約に掲げて当選した小池百合子知事の肝いりプロジェクトです。

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「時差Biz」キャンペーンにあわせて運転された東急電鉄の早朝臨時列車。戦時中に時差通勤の実施を求める声を挙げたのも東急の五島慶太だった(2018年7月、草町義和撮影)。

 公式サイトによると、通勤ラッシュの緩和によりストレスから解放され、通勤時間帯の有効活用が可能になり、自己啓発や趣味の時間、家族との時間が増え、働く意欲が向上することで企業の生産性向上にもつながるという、壮大な効果を見込んでいるようです。単なる交通政策ではなく、働き方改革のひとつとして位置付けられていることが分かります。

 東京都は利用者と雇用者にテレワーク導入や時差通勤の推進を働きかけるとともに、鉄道事業者に対してはピーク時間帯前後の列車増発や協力者への特典付与を促しています。なかでも混雑率180%以上の路線を抱える東京メトロや東急電鉄、JR東日本では、オフピーク通勤にポイントを付与したり、朝活イベントを開催したりするなどしていますが、いまひとつ盛り上がりに欠けているのは否めません。

 そもそも、時差通勤はいつごろ始まり、どのような効果が期待されていたものなのでしょうか。その意外な歴史を振り返っていきます。

そのきっかけは戦争だった

 時差通勤というアイデア自体の歴史は非常に古く、いまから100年ほど前に、英国の首都・ロンドン市に設置されたロンドン交通諮問委員会が提唱したことに始まります。

 時代背景から総力戦となった第1次世界大戦の教訓があったものと思われますが、その際は実施には至りませんでした。時差通勤が本格的に実施されたのは、次の世界大戦でのことです。

 1939(昭和14)年9月、ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発すると、英国内の軍需生産増強が急がれました。しかし、1940(昭和15)年に入って燃料統制が行われ、バスが2割削減。工業地帯の通勤輸送は鉄道に集中し、激しい混雑が生じるようになりました。

 英国生産省のロンドン及び南東地方局が対策を検討したところ、一帯の工場の始業時間が7時半~8時に集中していることが分かり、以前から検討されていた時差通勤を実施することで、この事態の解決を図ることにしました。

 戦争という非常事態にもかかわらず、生産省は一切の強制をせずにこれを乗り切りました。まず工業地帯を半径0.5マイル(約0.8km)程度に区切って「地区輸送グループ」を作ります。そして、グループごとに経営者、労働者、輸送機関で始業時刻と終業時刻を自主的に調整させたのです。

 これによって、集中していた始業時間が15分刻みにいくつかのグループに分散し、ピーク輸送力が半減するという大きな成果を収めました。1944(昭和19)年には1100社で合計50万人以上の労働者を50以上のグループに分けて時差通勤を行っていたそうです。

 第2次世界大戦中、世界70の都市で何らかの形の時差通勤が行われていました。日本における時差通勤の始まりも戦時中までさかのぼります。

戦時輸送で認識された「貨物より工員」

 日本では日中戦争以降、戦時体制に移行していました。1941(昭和16)年の太平洋戦争勃発以降はとくに船舶と自動車が南洋侵略の軍事輸送に振り向けられ、国内輸送の多くを鉄道が担うことになりました。

 欧米と比べて自動車の普及が遅れた日本では、鉄道は旅客輸送が主たる役割でしたが、貨物輸送を強化するために旅客輸送は抑制されることになります。貨物用の機関車や貨車が優先して製造され、旅客用の機関車や電車の製造は後回しにされました。

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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

東京メトロ勤務を経て2017年に独立。江東区・江戸川区を走った幻の電車「城東電気軌道」の研究や、東京の都市交通史を中心としたブログ「Rail to Utopia」を中心に活動をしている。鉄道史学会所属。

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