【都市鉄道の歴史をたどる】城東電気軌道の足跡を追う 東京東郊を駆け抜けた路面電車

かつて東京の公共交通の主役といえば「路面電車」。都心の路線だけでなく、郊外にもレールを伸ばしていました。東京東郊で路面電車網を運営していた城東電気軌道の発起から廃止までの歴史を追ってみます。

郊外にも伸びていた東京の路面電車

 東京とその近郊に張り巡らされた地下鉄ネットワークは、東京メトロと都営地下鉄を合わせて約300kmにも達します。しかし地下鉄が整備されるまでは、その機能を担っていたのは路面電車です。東京の路面電車、いわゆる「都電」は最盛期には200kmを超えるネットワークを形成していました。

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JR越中島貨物線と遊歩道が立体交差する場所に設けられた跨(こ)道橋の名は「城東電軌こ線ガード」。かつて城東電気軌道がここを走っていたことを示している(2014年6月、草町義和撮影)。

 東京に初めて路面電車が走ったのは1903(明治36)年のこと。民間企業が敷設した路線を、1911(明治44)年に東京市が買収して市電(後の都電)が誕生します。

 東京市は市内の交通を自らコントロールしたいと考え、私鉄の市内乗り入れを拒んだため、国有鉄道を除けば、市内は市電、市外は私鉄という住み分けが定着します。

 1889(明治22)年に15区で成立した東京市は、第1次世界大戦後の急速な経済成長によって市街地が急速に拡大。関東大震災後さらに郊外化が進展したため、1932(昭和7)年に周辺町村を編入して35区に拡大します。

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「東京15区」と「東京35区」の範囲(『都営交通100周年都電写真集(東京都交通局)』を参考に枝久保達也作成)。

 市域の拡大により、東京の都市交通も再編を迫られます。その過程で旧東京15区の周辺で営業していた「城東電気軌道」「王子電気軌道」「西武鉄道(新宿軌道線)」などが市電ネットワークに組み込まれました。

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東京の私鉄各社の設立時期と開業年(枝久保達也作成)。

 上図は東京圏の私鉄各社の設立と開業年を示したものです。第1次世界大戦前後を境に電気軌道から電気鉄道へトレンドが大きく変わったことが分かります。非電化鉄道路線として開業した東武鉄道、東上鉄道(現在の東武東上線)、武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)も1920年代に電化し、現在につながる電車文化が確立していきます。

 市電に吸収された城東電気軌道、王子電気軌道、西武新宿軌道線の3路線のうち、王子電気軌道は京成や京王と同時期の開業ですが、城東電気軌道と西武軌道は電気軌道としては最後の世代に当たります。大手私鉄として現存する路線と、運命を分けたものは何だったのでしょうか。

 最後の都電「荒川線」として現存する王子電気軌道、地下鉄丸ノ内線(新宿~荻窪間)に引き継がれた西武新宿軌道線、そして跡形もなく消えてしまった城東電気軌道。各路線の成立過程と役割の変化、編入後の変遷について、これから3回に分けてご紹介します。まずは 、歴史の中に消え去った幻の電車「城東電気軌道」です。

江東区と江戸川区のエリアに開業した

 城東電気軌道は現在の江東区と江戸川区を営業エリアとしていた電鉄会社です。ターミナルを錦糸町駅前に置き、荒川放水路西岸までの「小松川線」、荒川以東の「江戸川線」そして亀戸付近から現在の東陽町に至る「洲崎線」の3路線から構成されていました。

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城東電気軌道(赤)の路線図(国土地理院の地図を加工/乗りものニュース編集部作成)。

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Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)

1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx

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