【空から撮った鉄道】開業直後の北陸新幹線を追ったのは「テレビ番組の主人公」(写真10枚)

いつもは眼下の列車を「空撮の主人公」に見立てて撮影していますが、開業直後の北陸新幹線を空撮したときは様相が少し異なりました。列車が主人公であると同時に、空撮カメラマンも「テレビ番組の主人公」に。そのときのエピソードを語ります。

「カメラマンを撮るカメラマン」が同乗

 北陸新幹線は2015年3月14日に開業しました。この年のダイヤ改正は、日本の鉄道史上でも特筆されることがありました。

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テレビクルーとともに乗ったセスナから撮影した北陸新幹線(2015年3月16日、吉永陽一撮影)。

 それは「トワイライトエクスプレス」廃止、「北斗星」定期運行終了という寝台特急の衰退と、北陸地方へ新幹線が開通するという栄枯盛衰があったのです。国鉄から続いてきた寝台列車の時代が終わり、ついに北陸も新幹線網が伸びたのだなと、感慨深いものを感じました。

 このとき、私の人生でも大きなことがありました。テレビ局が空撮する私を主人公として取材し、テレビで放送するというのです。まさか、これは夢ではないかとびっくりしましたが、事実でした。せっかくの特集番組ですから、お互いに知恵を出し合ってより興味深い内容にしたいと、どこを空撮しようかと吟味しました。意見が一致したのが、このダイヤ改正によって消える寝台列車と、誕生する北陸新幹線です。

 この対比は、報道をする者として無視できません。私もスチールで報道する身でもありますから、テレビの意向はすぐくみました。札幌発の最終「トワイライトエクスプレス」を撮ったあとに、北陸新幹線の開業を撮るというプランになりました。

 しかし、3月の札幌と北陸地方は低気圧に阻まれます。懸念した通り、最終「トワイライトエクスプレス」は吹雪で離陸できませんでした。では翌日の北陸新幹線は……と天候をチェックすると、こちらも雪が混じる曇天で危険が伴います。空撮は成果を持ってこそ全てです。決して「欲しい絵」のために無理をしてはいけません。「安全を取って開通日はやめよう」と、3月14日の開通日は諦めました。15日もダメでした。

 3月16日。開通3日目という中途半端な日でしたが、直近ではこの日が安定して飛べます。すぐテレビクルーと一緒にセスナへ乗り込み、金沢へ向かいました。北アルプスの山脈は高曇りの曇天で、どの山々もいてつく雪景色です。機内はヒーターが効いているとはいえ、外気温はマイナス温度。私のすぐ隣にある開閉式の窓からは冷気が入り込んできます。何度か窓を開けて山脈を撮影しましたが、キンッとした冷気に目が覚めました。

石川の車両基地から長野へ向かう

 9時20分ごろ、石川県白山市にある北陸新幹線の車両基地「白山総合車両所」へ到達します。ここから撮影がスタート。そのまま東へ移動して金沢駅へ到達したころ、E7系と在来線と街並みを入れて撮影します。

 上空からだとE7系なのかW7系なのか判別できませんが、鮮やかな青い屋根の車両と周囲の情景を入れながら撮影していきます。このとき役に立ったのは、あらかじめiPadに入れておいた時刻表。膝上にiPadを広げながら「かがやき」「はくたか」「つるぎ」と、把握しながら撮影します。

 今回テレビ局と決めたオーダー内容は各駅を撮るということで、ではせっかくならば車両が到着ないし出発するところを撮ろうということになりました。金沢から新高岡へ。そこで次の列車まで15分ほど時間が空いたので、ついでに高岡駅と万葉線を撮り、新高岡へ戻って発車シーンを押さえます。次は富山です。富山地鉄も撮りたいが昨年に撮影したのでここは堪えて、今回は富山駅前に絞ります。新幹線と旧・北陸本線(あいの風とやま鉄道)の対比と、E7系(W7系)の勇姿を狙います。

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北陸新幹線の開業で生まれ変わった金沢駅(2015年3月16日、吉永陽一撮影)。

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Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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