【廃線跡の思い出】富山地方鉄道射水線 鉄道とバス、「二重」の廃線跡に
鉄道の敷地をバス専用道に改築してローカル線の代替交通とするケースは、「BRT」という言葉が登場するずっと前からありました。富山市の市街地と富山新港を結んでいた富山地方鉄道射水線跡地のバス専用道を紹介します。
古くからあった「BRT」
近年、ローカル線の代替交通として、バス高速輸送システム(BRT)を導入するケースが増えました。本来は都市部の公共交通の一種として考案され、海外の都市で普及しています。しかし、日本では廃止になったローカル線の跡地をバス専用道に改築し、そこにバスを走らせる公共交通が「BRT」と呼ばれることが多いといえます。
こうしたケースを日本で「BRT」と呼ぶようになったのは、2008(平成20)年ごろと見られます。この前年に鹿島鉄道(茨城県)が廃止され、鹿島鉄道の跡地をバス専用道として整備する構想が浮上。2010(平成22)年に一部の線路跡地が専用道に変わりました。
しかし、廃止された鉄道の跡地をバス専用道に転用した例は、「BRT」という言葉が日本で使われるようになる前からあります。富山新港(富山県射水市)と富山市内を結んでいた路線バスも、1980(昭和55)年3月31日限りで廃止された富山地方鉄道(富山地鉄)射水線の一部を転用したバス専用道を走っていました。
記者(草町義和:鉄道ライター)は2006(平成18)年8月、このバスに乗りました。早朝、高岡駅(富山県高岡市)から万葉線の路面電車に乗って、富山新港の西側にある終点の越ノ潟駅へ。ここで県営の渡り船に乗り換えました。
東側の堀岡発着場に到着すると、富山地鉄のバスが発車を待っています。先頭の行き先表示器には、「91」「専用道」「新富山」「富山駅」の文字が並んでいました。
はっきりとした記憶は残っていませんが、バスは朝の8時ごろ、堀岡発着場の前にある新港東口停留所を出発。しかし、バスは2車線の典型的な一般道を走るだけで、なかなか専用道に入りません。
信号機は「手動」で操作
残り675文字
この続きは有料会員登録をすると読むことができます。
Writer: 草町義和(鉄道ニュースサイト記者)
鉄道誌の編集やウェブサイト制作業を経て鉄道ライターに。2020年から鉄道ニュースサイト『鉄道プレスネット』所属記者。おもな研究分野は廃線や未成線、鉄道新線の建設や路線計画。鉄道誌『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)などに寄稿。おもな著書に『鉄道計画は変わる。』(交通新聞社)など。