神楽坂「逆転式一方通行」のナゾ 時間で変わる通行方向、誕生の背景に大物政治家の影?
田中角栄の影響力で?
この交通規制が始まったのは、ある政治家が自邸から国会議事堂まで通いやすいようにしたため、という噂もまことしやかにささやかています。
その政治家とは、数々の道路や新幹線網などの整備を推進した田中角栄元首相です。文京区目白台にあった自邸(一部は現・文京区立目白台運動公園)から国会議事堂までのルートを考えると、午前は神楽坂を下る、午後は上るという規制は、確かに都合がよいかもしれません。
牛込署にも、この件について問い合わせましたが、あくまで交通の流れに応じたものだといいます。なお、同署で規制を始めた1961(昭和36)年当時、田中角栄元首相はまだ自民党の政務調査会長でした。首相の座に上り詰めたのは1972(昭和47)年のことです。
新宿区立中央図書館にも問い合わせたところ、かつて発行されていた神楽坂のタウン誌『神楽坂まちの手帖』7号と、郷土史家の渡辺功一さんによる『神楽坂がまるごとわかる本』(いずれもけやき舎刊)に、規制が始まったいきさつが記載されているといいます。おおよそ、次のような経緯だったようです。
もともと、神楽坂は現在よりも車道が広く、対面通行でした。歩道が狭かったことから、安心して歩けるようこれを拡幅し、そのぶん車道が狭くなったため、まず下りの一方通行になります。しかし、坂の途中の商店にクルマが突っ込む事故が起こったため、今度は上りの一方通行にしたところ、飯田橋駅前の五差路や、それに交わる大久保通りなどが渋滞するように。そこで現在のような規制が始まったといいます。
いまでこそ、外堀通りや目白通り、大久保通りなどがこの地域の主要な道路ですが、これらにはかつて路面電車が走っていました。自家用車が普及した昭和30年代、路面電車は全国的に渋滞の原因となっていったなかで、この神楽坂ルートはクルマで移動する人にとって重宝されたかもしれません。いまでも、特に夜は多くのタクシーがこのルートを走り抜けていきます。
【了】
※一部修正しました(7月9日17時40分)
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