浮かぶ重文、横浜港の「日本郵船氷川丸」が入館者300万人に 現存する戦前の大型貨客船

横浜港に面する山下公園の「日本郵船氷川丸」が、2008年のリニューアルから数えて入館者300万人を達成、これを記念したセレモニーが行われました。戦前に建造され数奇な運命をたどった「氷川丸」が、またひとつ節目を迎えました。

海に浮かぶ国の重要文化財

 横浜市の山下公園前に係留される、国の重要文化財でもある博物館船「日本郵船氷川丸」が2019年6月8日(土)、入館者数300万人に達しました。2008年4月25日のリニューアル・オープンから12年目の達成です。

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「日本郵船氷川丸」にて、左から4人目が入館者数300万人目となった松井壮琉くん(2019年6月8日、乗りものニュース編集部撮影)。

 300万人目となったのは神奈川県茅ケ崎市から両親と3人で「氷川丸」を訪れた松井壮琉(たける)くん(5歳)です。船内で行われた記念セレモニーでは壮琉くんとその家族に記念品として、ザ・クルーズクラブ東京が運航するクルーズ船「レディクリスタル」のディナークルーズ(4名ぶん)などが贈られ、壮琉くんのお父さんは「300万人という長い歴史の一員となって光栄です」と話しました。

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山下公園に係留される国の重要文化財「氷川丸」
「氷川丸」名誉船長の「キャプテンハマー」と壮琉くん。
「氷川丸」の往時を偲ばせるプロムナードデッキ。

「氷川丸」は、日本と北米シアトルを結ぶシアトル航路用の1万2000トン級貨客船として日本郵船が建造、1930(昭和5)年4月に竣工しました。船名は氷川神社にちなんだものです。

 1941(昭和16)年のシアトル航路休止後、戦時中は旧日本海軍に徴用され特設病院船として使用されていました。病院船とは、戦地の病院の戦傷病者を収容し日本へ帰国させることをおもな任務とし、ほかに戦地や艦船への医薬品の補給なども担うものです。

 戦後は再開されたシアトル定期航路に復帰するものの、1960(昭和35)年10月、日本郵船の客船事業撤退にともない「氷川丸」も引退しました。山下公園に係留され、一時日本郵船の所有を離れユースホステルとして利用されるなどしましたが、2008(平成20)年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアル、竣工当時の姿に近い形に復原され現在(2019年6月)へ至ります。2016年には国の重要文化財に指定され、スクリューなどは外されているものの、いまなお往時の姿をとどめています。

【了】

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