旧軍空母「加賀」の一部始終 廃艦寸前の元戦艦はなぜ空母になり精強を誇るに至ったか
旧日本海軍の「加賀」といえば、同「赤城」と共に最精鋭として知られた「第一航空戦隊」を組み、大艦巨砲主義に終止符を打った空母の1隻です。ところが元は戦艦で、しかも廃艦寸前でした。その数奇な運命を追います。
イレギュラーな名前にも見えるその数奇な運命
空母「加賀」、この艦名は石川県南部の旧国名である「加賀」から名付けられました。でも考えてみると、旧日本海軍の空母は「鳳翔」や「飛龍」「瑞鶴」「隼鷹」など、「龍や鳥など空を飛ぶ縁起の良い動物」の名前か、もしくは「赤城」「葛城」など山の名前がほとんどです。そのような日本海軍の空母のなかで、旧国名が付けられたのが「加賀」と「信濃」です。
この2隻だけイレギュラーな理由は、両方とも戦艦からの改造だからでした。旧日本海軍において「戦艦は旧国名を付ける」と規定されていたため、進水にともない名付けられた名前が、そのまま空母になっても引き継がれたのです。ではなぜ、戦艦として生まれたにもかかわらず空母に改造されたのでしょうか。それは「加賀」自身の数奇な運命が大きく影響したからでした。
そもそも「加賀」は、長門型戦艦を拡大発展させた後継艦として1917(大正6)年に帝国議会の予算承認を受け、建造が開始されました。
「加賀」の速力は、戦艦としては当時、最高レベルの約26ノット(約48.1km/h)で、それまでの日本戦艦が25ノット(約46.3km/h)止まりだったことを鑑みると、「高速戦艦」と呼べるほどでした。装甲も建造当時は世界最強の防御力を持ち、また武装も41cm連装砲5基10門を主砲に、副砲20門や魚雷発射管なども装備した重武装戦艦でした。
「加賀」と「信濃」がイレギュラー(戦艦改造空母なので、戦艦の命名規則に則って艦名が旧国名)と言うのであれば、「赤城」「葛城」もイレギュラー(重巡洋艦(巡洋戦艦)改造空母なので、重巡洋艦の命名規則に則って艦名が山の名前)なのに、何故「空母で山の名前は一般的」のように扱われているのか疑問。
読者に対して不誠実だと思う。
赤城と並んでいたので勘違いしてしまいましたが、葛城は純粋に空母ですが山の名前でした。
赤城は空母の命名規則で山の名前という訳ではないですが。
そに指摘は妥当。どうせ読者はわからない、疑問に思ってもどうせ調べないだろうし、どうでもいい、というのが、 書き手側の気持ちでしょう。