エアバス50年、民間機だけじゃない巨大企業への歩みとは ヘリでは日本と深い縁も
エアバスといえば日本の航空会社も導入する旅客機で広く知られますが、実は日本では、旅客機よりもヘリコプターのほうで縁深いメーカーです。防衛装備品も扱う巨大企業の50年の歴史を振り返りつつ、日本との関係の現状について眺めます。
エアバス50年、最初の1歩は民間旅客機から
いま(2019年)から47年前の1972(昭和47)年10月28日、エアバスが初めて開発した旅客機「A300」の原型機「A300B1」が初飛行しました。
「エアバス」という社名の起源は、1960年代にヨーロッパで構想されていた、バスのように気軽に乗ることができる中距離用の大型ワイドボディ旅客機にあります。当時、ヨーロッパ諸国の旅客機メーカーは、ボーイングやダグラス、ロッキードといったアメリカ企業に販売機数で大きく水をあけられており、巨額の開発費を必要とする新型の大型ワイドボディ機を1社のみで、さらに言えば1国のみで開発するのが困難な状況にありました。
このためイギリス、フランス、西ドイツの3か国は共同開発を模索し、1966(昭和41)年に新型機「ヨーロピアン・エアバス」の共同開発で合意。その後イギリスが離脱したものの、フランスとドイツは共同開発の継続を決定し、1970(昭和45)年12月18日にフランスの航空機メーカー、アエロスパシアルとドイツの航空機メーカー、メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)を中心に、現在のエアバスの前身となる企業連合「エアバス・インダストリーG.I.E」を設立します。
エアバス・インダストリーG.I.Eが最初に開発した旅客機であるA300は当初、セールスで苦戦を強いられ、同社は膨大な赤字を抱えてしまいましたが、A300に続いて開発した、革新的な技術を盛り込んだ単通路旅客機「A320」が商業的に大成功をおさめたことで息を吹き返し、エアバス・インダストリーG.I.Eの創設から49年を経た現在では、ボーイングと市場を二分する、旅客機業界の巨人となっています。
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