悲劇の運命 アメリカ海軍の「空飛ぶ円盤」XF5U なんと初飛行前にスクラップ
「空飛ぶ円盤」は、なにもSFや超常現象の世界に限った話ではありません。航空工学において「円盤翼」は、世界中で研究されてきました。そのようななか、アメリカ海軍は第2次世界大戦において、戦闘機として用いようとしました。
円盤翼は艦載機向けの大きなメリット有り
一般的に「空飛ぶ円盤」というといわゆるUFO、未確認飛行物体のことを指しますが、第2次世界大戦中、アメリカ海軍は円盤型戦闘機を実際に製作していました。XF5U艦上戦闘機で、その外観から「フライング・フラップジャック(パンケーキの意味)」などと呼ばれるものです。
その形状は円盤型の主翼兼胴体に2基のプロペラ、操縦席、そして尾翼がついたもので、亀のようにも見える外観です。なぜアメリカ海軍は大戦中に、このような戦闘機を作ったのでしょう。それは海軍ゆえの要望にまつわるものでした。
円盤翼は各国で研究されていましたが、アメリカにおいて実機が生まれたのは、第2次世界大戦前の1930年代にさかのぼります。航空機メーカー、ヴォート(チャンス・ヴォート)のチャールズ・H・ジンマーマン技師は、滑走距離の短い飛行機について研究するなかで、凧の原理から円盤翼を思いつきます。
円盤翼は、翼幅が短くとも翼面積を稼げるため、失速しにくく構造は強固にできるメリットがあります。翼面積が大きければ大きいほど滑走距離は短くできるため、大きな円盤翼であれば、翼幅、すなわち機体の横幅はそれほど大きくなくても飛行性能に優れた機体にすることが可能と考えたのです。
まずジンマーマン技師は模型を作り、風洞実験でその有用性を証明すると、これに目を付けたアメリカ海軍が資金援助してくれることになりました。海軍は、滑走距離に制限がある空母の上で運用する艦載機などには、円盤翼が向いていると考えたからでした。
アメリカ海軍の支援を受けたジンマーマン技師は、次にV-173という技術実証機を作ります。同機はテスト機のため、エンジンこそ非力でしたが、1942(昭和17)年11月23日に初飛行すると、飛行試験では高い性能を見せつけ、特に離陸についてはわずか6mという驚異的な短距離を記録します。
この試験結果はアメリカ海軍を満足させ、円盤翼機の開発は本格的な艦上戦闘機の開発へと移ることになりました。
試作機に3枚プロペラを装着・・・という記述は誤りです。
4枚プロペラを装着しています。
3ページ目の写真を見れば明らかです。
2ページ目の3枚プロペラを装着しているのはモックアップです。