飛行機の「双胴機」なぜそのカタチ? P-38「ライトニング」ほか、それぞれのワケ(写真10枚)

飛行機の「双胴機」といえば、懐かしのシューティングゲームの主役機を連想する人もいることでしょう。実在する戦闘機がモデルですが、実際のところどういった理由であのようなカタチの飛行機が生まれたのでしょうか。

第一次世界大戦で登場した双胴機

 一般的な飛行機の胴体はひとつなのですが、航空機によっては胴体がふたつのものが存在します。双胴機とよばれるこの飛行機は、第一次世界大戦が始まった20世紀初頭に登場します。

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スピードを追い求め双胴となったP-38「ライトニング」。その姿から、日本軍からは「メザシ」と呼ばれていた(石津祐介撮影)。

 現在、ほとんどのプロペラ機はプロペラを機体前方に配置した「牽引式」という方式を取っていますが、第一次世界大戦中、このプロペラの配置箇所を一因として、機体に双胴が採用されたケースがありました。

 人類初の動力飛行機「ライトフライヤー号」は、プロペラを機体後方に配置して推力を得る「推進式」という方式を採用しており、当初、飛行機の多くはこの方式でした。一方で「牽引式」も早い時期に登場しており、これを採用するものも見られました。

 やがて飛行機は軍事利用されるようになり、おもに偵察任務などを行っていましたが、敵の飛行機に対して搭乗者がピストルで撃ちあう「空戦」が起こり、そして機関銃を搭載した空戦専門の「戦闘機」が登場します。当初、銃座をどこに据えるか試行錯誤がされましたが、機体側からプロペラをすり抜けて機関銃が発射できる「プロペラ同調装置」という画期的な機構が開発され、この装置を装備したドイツ軍の単葉単胴で牽引式の戦闘機、フォッカーE.Iが登場し、第一次世界大戦で活躍します。

 一方、この装置の開発で遅れを取ったイギリス軍は、推進式を採用するエアコー社(後のデ・ハビランド)のDH.1の単座型戦闘機であるDH.2で対抗します。このDH.1や2は推進式のためプロペラが機体後方にあり、クリアランスを確保するために、胴体部分と尾翼をつないだ「双胴機」スタイルを採用していました。

 ドイツでも、爆撃機や偵察機ではAGO C.IIのように推進式の双胴機が使われていましたが、フォッカーE.Iの活躍などにより、戦闘機は牽引式が主流となり推進式は廃れていくことになりました。

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英エアコーのDH.2。
独AGOのC.II。
独フォッカーのE.I。

 とはいえ、双胴の戦闘機もまったく作られなくなったわけではありませんでした。第二次世界大戦の時代になると、さまざまな目的に応じた双胴の軍用機が登場します。それらの機体が、どのような目的で開発されたのでしょうか、いくつかの事例を見てみましょう。

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コメント

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2件のコメント

  1. P-38はエンジンの熱がコクピットに伝わってこないので、高空で寒くそれが不評だったとか。
    P-61は重武装に黒づくめと悪そうに見えるのが好きw

  2. P38やP61がじゃぷどもをばたばたころしてくれたおかげで今の平和があります。