海上自衛隊が使った唯一の旧海軍駆逐艦 護衛艦「わかば」の数奇な人生

太平洋戦争に敗戦した日本は、残っていた戦闘艦艇のほとんどをアメリカやソ連などに引き渡しましたが、そののち発足した海上自衛隊に旧日本海軍の駆逐艦が1隻だけ再就役しました。どのような経緯で護衛艦に転身できたのでしょうか。

新装備のテストベッドとして海自に貢献

 それでも1957(昭和32)年には改装され、各種武装やレーダーなどを搭載、護衛艦としての本格運用が始まります。1960(昭和35)年には海上自衛隊艦艇として唯一、アメリカ軍供与の遠距離目標の高度がわかる大型レーダー(高角測定レーダー)を装備し、海上自衛隊のレーダー運用能力の向上に貢献しました。

 これ以降、新装備のテストベッドとなる実験艦的な任務が多くなり、1963(昭和38)年4月には護衛艦にまつわる各種の試験を担当する実用実験隊(当時)へ編入されて、各種テストに専念することになります。

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1958(昭和33)年9月、日本海を航行中のソ連駆逐艦TSL-24。賠償艦として同国に引き渡された「初桜」の晩年の姿である(画像:アメリカ海軍)。

 こうして護衛艦「わかば」は再就役から約15年間、駆逐艦「梨」の艦歴よりも大幅に長く運用され、1971(昭和46)年3月31日に再除籍されました。ちなみに真偽の程はわかりませんが、「わかば」は沈没艦を引き上げて再就役させたということで、幽霊騒ぎもあったそうです。

 駆逐艦「梨」から自衛艦「わかば」への転身は、終戦直前の沈没がなければあり得なかったことです。沈没は多数の犠牲を出した悲しいできごとですが、沈没しなかったほかの戦闘艦艇が、終戦後に賠償艦として他国に引き渡されて、~艦によっては原爆実験などに用いられたことを鑑みると、引き揚げられて再び就役した「わかば」は強運だったのかもしれません。

【了】

【写真】再就役直後 武装もレーダーもない状態の警備艦「わかば」

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子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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