国産初ジェット旅客機は「YSX」だったかも…なぜ実現しなかったか?「YS-11」後継機
話題が絶えない三菱「スペースジェット」は日本初の国産ジェット旅客機の触れ込みですが、それまで何度か日本はトライしたことがあり、そのひとつが「YSX」です。なぜ実現しなかったのでしょうか。
国産ターボプロップ機「YS-11」の経験をもとに…
三菱航空機の「スペースジェット(旧MRJ)」最新試験機が2020年3月18日(水)、初飛行を迎えました。このモデルは「日本初の国産ジェット旅客機」の触れ込みで、開発が進められています。
しかし「国産ジェット旅客機」の計画は、スペースジェット以前にもありました。そのひとつが「YSX」というモデルです。結果としては、計画段階で中止となり幻と終わってしまいましたが、もしこの「YSX」が完成していれば、こちらがいわゆる「日本初の国産ジェット旅客機」と呼ばれるようになっていたでしょう。
戦後初となる国産ターボプロップ(ジェットエンジンの一種でプロペラを回し推進力を得るもの。搭載機はいわゆるジェット機には分類されない)旅客機「YS-11」がまだ日本の空を飛び交っていた1986(昭和61)年、同機の経験をもとに、日本の企業が中心となって、50席から100席クラスの新たなモデルを作ろうという機運が高まります。
それまでの国内における旅客機の開発状況はというと、YS-11が1964(昭和39)年から翌年にかけ実用化されたのち、3発ジェットの「YS-33」が日本独自で計画されるもとん挫、以降、海外の企業と協力し何度か新型旅客機の開発を試みたことがあるものの、最終的には計画段階で撤退、あるいはボーイングなど海外の企業に計画の主導権を握られている状態でした。
このため三菱重工など、日本の航空機産業を担う企業からなる日本航空機開発協会は、海外の企業との共同開発の形でありながら、マーケティング、商品企画、開発、生産、販売、サポートで、日本が主導権を握ることのできるモデルの開発を企図します。
翌1987(昭和62)年には、ちょうどスペースジェット M100(旧MRJ70)とほぼ同等の75席クラスで、ジェットエンジンのひとつであるターボファンエンジンを搭載した双発機というカタログスペックの新型機が、開発計画の第一歩を踏み出します。
YSXの写真を是非みせてください。お願いします。
国産初のジェット旅客機、YSXよりもそれ以前にYS11のエンジンをターボファンに改装したYS11-Jや、DC10をそのままスケールダウンした様なスタイルの3発機YS33というのが計画されていたんだけどなあ。
まあ、どっちも結局は実現しなかった機体ですからね。