【懐かしの国鉄写真】いまから53年前の中央線特別快速出発式 東京駅、三鷹駅、そして高尾駅の光景

いまから53年前、中央線で特別快速が運転を開始。初日には東京駅で出発式が開催されました。今回は、出発式の模様と特別快速に乗車して記念きっぷが発売された三鷹駅、終点の高尾駅、帰路に乗車した京王線の写真をご覧いただきます。

上り下りとも、一番電車の前面には装飾を取り付け

 国電中央線は1966(昭和41)年4月に中野~荻窪間が複々線になり、営団地下鉄東西線との相互乗入れが始まっていました。しかし、当初計画されていた高円寺、阿佐ヶ谷の快速通過は地元の反対で実現せず、多摩地区の利用者からは「複々線になっても所要時間が短縮されていない」ことを不満とする声が上がっていました。

 この対応策として通過区間を中野~立川間まで拡大した特別快速が計画され、1967(昭和42)年7月3日から運転開始となりました。中野~立川間の停車駅は三鷹のみで、一般的には京王井の頭線との乗換駅であり、乗降客数も多い吉祥寺に停車しないのが不思議でした。しかし、当時の中央線で上下線が独立して待避可能なのは三鷹のみであり、電車区、乗務員区もあることから、三鷹停車は外せなかったのでしょう。

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東京駅では下り特別快速の一番列車となる10:02発の1053Fでテープカットが行われた。幸い2番線からの発車だったので、3番線からカメラを構えたが、京浜東北線が発着するので決定的瞬間が被られる恐れがある。短い折返し時間で発車式のセッティングが行われている(1967年7月3日、楠居利彦撮影)。

 特別快速によって中野~立川間の所要時間は快速より約10分短縮されますが、日中のほぼ10~15時台(平日の場合)に1時間あたり3本の運転なので、通勤客に直接の恩恵はありません。しかし、この年の10月には京王帝都電鉄高尾線の開業が予定されていたので、競合区間となる新宿~高尾間の乗客誘致に先手を打つという意味もあったと考えられます。

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うまくテープカットの瞬間が撮れた。この頃は何人もが並んでハサミを持ち、テープをブツ切りにすることはなかった(1967年7月3日、楠居利彦撮影)。
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定刻に発車。特別快速の標識は運転室内に吊下げる小型のものだった。車両はすべて非冷房の101系なので、窓は所々が全開になっている。運行番号末尾の「F」は武蔵小金井電車区の所属を表し、特別快速は51F以降で区別されていた(1967年7月3日、楠居利彦撮影)。

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Writer:

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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