旧海軍空母「信濃」 護衛艦隊 米潜水艦…三者三様の立場から見る「運命の22時間」
当時、最大最強の空母となるはずだった旧日本海軍の「信濃」は、初出航わずか22時間で撃沈されました。その運命の航跡を「信濃」、護衛の駆逐艦隊、そして「信濃」を撃沈したアメリカ潜水艦の、三者三様の立場から振り返ります。
「信濃」が発した10秒の赤色信号が運命の分かれ目だった?
「護衛艦は持ち場に戻れ」
1944年(昭和19)年11月28日22時45分、空母「信濃」から赤色発光信号が発せられます。その信号は運命の分かれ目だったのかもしれません。第17駆逐隊の駆逐艦「浜風」はそのとき、付きまとうアメリカ潜水艦「アーチャーフィッシュ」に肉薄しようとしていましたが、攻撃は許されませんでした。
その夜、日本海軍のトップシークレットだった大和型3番艦「信濃」は空母に改修され、工事を完成させるべく横須賀を出港し、呉工廠への航路を急いでいました。この航海は22時間足らずで終わってしまうのですが、事実上未完成艦であることを自覚しリスクを最小限にしたい「信濃」、とにかく忙しかった駆逐艦「浜風」「雪風」「磯風」の第17駆逐隊、地味な任務でレーダーも不調だったアメリカ潜水艦「アーチャーフィッシュ」の、三者三様の因果が絡み合っています。
思惑と疑惑と錯誤が渦巻く状況は、かのクラウゼビッツが表現した「戦場の霧」というものを実感させます。
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