複葉機U-2の朝鮮戦争 ひと晩でMiG-15半年分の戦果! 時代遅れの軍用機はどう戦った?

適材適所 非力すぎるU-2の「使いかた」

 事態を重く見たアメリカ空軍は、北朝鮮空軍飛行場を破壊するために積極的な攻勢作戦を開始。この作戦を契機に北朝鮮空軍側のMiG-15もまた活発となり、朝鮮戦争において最も熾烈な航空戦が始まりました。そしてF-86の損害発生ペースも増加してゆき、U-2の爆撃からたった4日間で3機がMiG-15によって撃墜されてしまうことになります。

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編隊飛行するMiG-15(左)とF-86(右)。朝鮮戦争を通じF-86の圧勝であったが性能は一長一短であり勝敗の要因は米軍パイロットの質の高さにあった(関 賢太郎撮影)。

 実はU-2は、第2次世界大戦時のソ連空軍においても、同じように夜襲へ投入されていました。当時のドイツ空軍戦闘機でさえ、遅すぎるU-2を攻撃することは危険で、ドイツ軍を苛立たせています。そのU-2が1950年代のジェット機が飛び交う朝鮮戦争の航空戦において再び姿を現しました。そして北朝鮮側において国連軍側に攻撃可能な航空機は事実上U-2だけであったため、この旧式の複葉機は朝鮮戦争の最後までMiG-15と同等の脅威であり続けたのです。

 大戦時にさえ時代遅れだったU-2が、朝鮮戦争では敵側の戦略にまで影響を与えたという事実は、航空戦の歴史においても最も皮肉なできごとのひとつであるといえるのではないでしょうか。

【了】

【写真】同名だけど似ても似つかぬ 「ドラゴンレディ」ことアメリカ空軍のU-2

Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)

1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。

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1件のコメント

  1. '80年代に韓国の東海岸に行ったら、公共機関に(Po-2の後継機である)An-2の絵入りのポスターがありました。翼が2つ、夜中に光も出さずに侵入、などと書いてありました。実際に飛来したことがあるらしいです。ですが調べたらさすがにレーダーに映らないということはないようで…