歴史の記事一覧
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「黒船襲来」2度目は白くなっていた 知られざる「白船来航」米国大艦隊が明治日本に来たワケ
江戸時代後期に日本に来航したペリーの「黒船」。それから半世紀後にアメリカ艦隊が再び日本へやってきたことはあまり知られていません。東京湾に入ってきた27隻の白い米国軍艦のワケと日本の対応についてひも解きます。
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「東京最古の私鉄路線」とは? 造られるはずではなかった“終点”の128年後
「東京最古の私鉄路線」と聞くと、山手線のターミナル駅に接続しているものと思うかもしれませんが、実は違います。目的の終着駅までの工事過程で、やむを得ず設けられた仮の終着駅が、その後の地域を変えました。
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奇跡の動態復活「マイテ49形」 花形特急だったウラで連合軍の注文とは 1等展望車の生涯
戦前の展望車「マイテ49形」が2022年10月、京都鉄道博物館に保存されました。「特急列車の象徴」だった最後の“新製”1等展望車でもある同車は、戦争の時代を経て、どのような変遷をたどったのでしょうか。
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動く「1等展望車」京都鉄道博物館マイテ49形に乗る 戦前の最上級車 圧巻の風格!
戦前の1938年に特急「富士」用の展望車として生まれたマイテ49形が、2022年10月に京都鉄道博物館に保存されました。そして蒸気機関車などとつないで「特別運行」するというのですから、またとない機会に乗車しました。
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JR中央線「都心の絶景区間」に挟まる“残念な車窓”のナゼ 水辺から離れる水道橋~飯田橋
JR中央線は御茶ノ水から四ツ谷にかけ、神田川の谷やお濠沿いを走り風光明媚な車窓が展開されますが、途中の水道橋~飯田橋間だけ、単調な景色が挟まります。この“1区間だけちょっと残念な車窓が入ってしまった理由”を探ります。
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東急=総延長320km!? 五島慶太が築いた「大東急」時代のすご~い路線図を振り返る
戦時中、東京圏の南半分が東急の路線だった時代がありました。通称「大東急」時代です。広範囲に及ぶ路線網を持つまでにどのような動きがあったのでしょうか。そしていつ、なぜ大東急は終焉したのでしょうか。
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戦艦「武蔵」の乗組員が経験した“二度目の沈没” 沈められた徴用船「さんとす丸」 生存者のその後
日米開戦に向けて徴用された多くの民間商船。その中の1隻「さんとす丸」は、レイテ沖海戦で沈んだ戦艦「武蔵」の生存者を本土に輸送するはずでした。でも結局、同船も沈みます。二度も海に投げ出された「武蔵」乗員の道程を振り返ります。
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東武を前に歯が立たず…でもない? 「日光戦争」国鉄・JRはどう奮闘したか 一時は優勢?
日光は東武鉄道にとって重要な観光地です。浅草駅からの特急列車が多数運行されていますが、それに混じってJR線から東武線へ直通する特急も新宿駅から運行されています。今は仲間のように見えますが、かつてはしのぎを削るライバル同士でした。
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相鉄・東急~「三田線」直通が本命? 60年前の構想からの紆余曲折 ついに叶う
新規開業する東急・相鉄新横浜線を介し、都営三田線は神奈川県の東部まで乗り入れを開始します。しかし壮大な直通運転形態が今回の形に固まるまで、三田線には紆余曲折がありました。
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レイテ沖海戦「謎の退却」がなければ日本は勝てた? 何が待っていた? 太平洋戦争最大の“もしも”
史上最大の海戦といわれることもある太平洋戦争の一大戦「レイテ沖海戦」。旧日本海軍はこの戦いでアメリカ海軍を打ち負かすことはできたのでしょうか。そもそも、作戦目標とされたレイテ湾突入は可能だったのか考察してみます。