吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)の記事一覧
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集」や「イタリアの中戦車・重戦車写真集 」、「イタリア軍写真集」など。
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武装ジープに似た車両を作れ! 機動力マックスな砂漠の忍者「サハリアーナ」
第2次大戦に参戦したイタリア軍は、北アフリカ砂漠で敵の長距離偵察車に翻弄されます。そこで同様な兵器を求め新たな偵察車を開発したところ高性能を発揮。イタリア特殊部隊が愛用した専用設計の特殊車両を振り返ります。
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2万トン級戦艦を沈めた「豆粒」 イタリア極小魚雷艇の大戦果 海軍の金言に刻まれた勇気
過去の大戦におけるイタリア海軍艦艇の戦いぶりを見てみると、小船が大戦果を挙げたという例が多々あります。そのなかでも「最大の戦果」といえるのが第1次大戦における魚雷艇の快挙です。
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イタリアじゃ不遇も北欧では「傑作機」 フィアットG.50戦闘機 どうしてそうなった?
イタリア初となる全金属製の低翼単葉戦闘機として開発され、第2次世界大戦前半には空軍の主力機でもあったフィアットG.50戦闘機。本国では目立った戦果を挙げることはなかったもの、異国の空では多数のエースパイロットを輩出しました。
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英軍戦車にゾッコンのあまりそっくりに 幻のイタリアン砂漠用戦車「サハリアーノ」とは
第2次世界大戦中、新戦車を模索していたイタリア軍は、砂漠における戦いで、敵であるイギリス軍の戦車に目をつけます。いつしかその開発はイギリス戦車を参考にするあまり、ソックリなものに。その経緯と顛末を追ってみました。
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目指せ東京! WW2イタリア「極秘の大陸横断飛行」見事到着も日本は認めず乗員拘束ナゼ?
第2次世界大戦中、日本との連絡を断たれた同盟国のイタリアは、1942(昭和17)年に極東との連絡航空路の開設を計画。長距離飛行が可能なよう、大幅な改造を施した特別機を使って、ローマ~日本間の飛行に成功しました。
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「世界初の実用ジェット機」かと思ったらアァ勘違い! イタリア「カプロニ・カンピーニ」
イタリアでは1930年代からジェットエンジンの研究と開発が行われ、一時は世界初の快挙も手にします。しかし実態は現代のジェットエンジンとは異なり、また初飛行もぬか喜びに終わりました。なぜそうなったのか見てみます。
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「敵戦艦を撃沈せよ!」WW2で大戦果上げたイタリア特殊部隊の「水中バイク」とは
イタリア海軍に関する“名言”に「戦果の大きさと搭乗員の勇気は、艦艇の排水量に反比例する」というものがあります。第2次世界大戦中には、まさしくそれを証明したかのような、ふたり乗りの小型潜水艇がありました。
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ジブリ映画にも登場! 実は凄い「双胴の飛行艇」サヴォイアS.55の大パフォーマンス飛行
第1次世界大戦後、民間航空の飛躍的な発展により新たな航空路が開設されるなか、新型飛行艇の開発もスタート。新型機はイタリア空軍のデモンストレーションにも用いられ、指揮した空軍大将はアメリカ大統領から勲章まで授与しました。
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二輪大国イタリア「オートバイで装甲車」作る 速さと小回り両立 廃れた理由はごもっとも?
第2次世界大戦中、イタリアでオートバイの操縦・走行装置を用いた4輪装甲車が誕生しました。画期的な車輪配置と高い機動性を持っており、実車まで製造されたものの、量産されずに終わったのは、もっともな理由でした。
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切り札「ポケット潜水艦」アメリカ本土攻撃を企てたイタリア海軍の奇策 別名カンガルー
第2次世界大戦中のイタリア海軍の活動は、誰もが知るような華々しさはないものの、潜水艦や小型潜航艇を用いて幾多の戦果を挙げました。その秘密兵器のひとつに、「ポケット潜水艦」なるものがありました。