「魚雷艇ごとアルプスを越えろ」どうやって? イタリア海軍の大遠征 最後はフィンランドへ

2度目の魚雷艇陸送と極北の戦線での戦果

 一方、1942(昭和17)年春には、黒海派遣とは別に北方のフィンランドからも、ラドガ湖での警備とソ連輸送船の排除を目的とした派遣要請を受けます。イタリア海軍は再びM.A.S.艇4隻を送り出すため、今度はドイツ縦断の旅に出ます。

Large 201004 mas 03

拡大画像

ラドガ湖上をパトロールするM.A.S.艇の20mm機関砲座横に立ち、防寒用のニット帽を被ったイタリア海軍の搭乗員(吉川和篤所蔵)。

 まずはバルト海に面したドイツの港町、シュテッティンを目指して、陸路でアルプスを越えることになりました。車両に積まれてラ・スペツィア軍港を出ると、イタリア北端のブレンネロ(ブレンナー)峠を越えて内陸のインスブルックやミュンヘン経由でシュテッティンに到着。そこで輸送船に載せ替えられ、ヘルシンキまで海上を運ばれ、さらに陸揚げののち、再び陸路で最終目的地であるラドガ湖畔のソルタンラフティに到達しました。移動期間は26日間、総距離で3105kmにおよぶ大輸送です。

 遠路運ばれてきた4隻のM.A.S.艇部隊は、極北の戦線でも59回の出撃を行い、「ビラ」級砲艦1隻と輸送船1隻撃沈の戦果を挙げて人員損失ゼロで翌1943(昭和18)年春に帰還。残された4隻はフィンランド海軍に売却され、山を越えた海軍は任務を遂げたのでした。

【了】

【写真】船が陸路アルプス越え!? トレーラーに載せられたM.A.S.艇。

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「あなたの知らないイタリア軍」「日本の英国戦車写真集」など。

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

2件のコメント

  1. 船頭多くして船山を登るって、こういうことだと思ってた。
    恥ずかしながら。

  2. 日本の某湖の遊覧船はどうやって持ってきたか?というクイズを思い出しますね。 
    それと1998年北陸新幹線のCM、映画クリムゾンタイドのパロディで潜水艦なのに「長野に向かえ」「長野には海がない」「湖があるだろう」というのもありました。 
    謎のモンゴル海軍は今はどうなったでしょうか…