運転士は指揮者?「鉄道会社の吹奏楽団」多かったワケ 昭和に全盛 仕事との両立に苦心
ファンファーレが必要だった昭和の鉄道
戦後の高度成長期にさしかかる頃、鉄道などの運輸事業者は自社社員による吹奏楽団を積極的に設立し、福利厚生で楽器や練習場を提供するケース多く見られました。戦後日本の経済事情ではまだ一般の人が気軽に管楽器を買える状況になく、労働者が吹奏楽を楽しむには企業の力が必要だったのです。
また吹奏楽団は、路線の開通や駅の開業など記念式典では重宝するため、先に述べた富山地方鉄道吹奏楽団も自社の駅ビル・施設にとどまらず、国鉄北陸本線の電化、富山空港の開業セレモニーなど、他の事業者にも引っ張りだこだったといいます。
このころには京成電鉄(千葉県)、国鉄大宮工場(埼玉県)、青函船舶管理部(国鉄青函連絡船の運営元)などに社員・職員どうしの吹奏楽団があり、コンクール出場など盛んに活動を行っていました。その他にも東急電鉄、近畿日本鉄道、徳島バスなど自前の楽団を有する企業は枚挙にいとまがなく、鉄道や運輸事業と吹奏楽は密接な関係にあったといえるでしょう。
しかし、のちにモーターリゼーション(自家用車の増加)の影響によって運輸事業者の多くが業績を落とすと、それとともにこれら吹奏楽団は徐々に活動を縮小していきました。富山地方鉄道も路線の廃止が相次ぎ、団員は最盛期の3分の1まで減少、存亡の危機ともいえる状態が長く続いたそうです。
加えて、2008(平成20)年に「全日本吹奏楽コンクール・職場の部」が部門再編になったことや、リーマンショックによる各社の業績悪化に左右され、鉄道に限らず企業の吹奏楽団は全般的に厳しい状況に置かれています。しかし、こと「鉄道会社の吹奏楽団」の場合は、「街から街へ人を運ぶ」企業ならではの問題を多く抱えながらも活動しています。
「名鉄杯」には最後の方で触れていましたか…あれを動画で聞いたときには3分間笑い転げました(失礼)。あのミュージックホーンがそれだけ多くの人に知られているからこその採用なのでしょう。