【空から撮った鉄道】令和になって現れた日本初の鉄道の遺構「高輪築堤」
再開発工事が進む高輪ゲートウェイ駅周辺で、1872年開業時の築堤と橋台などの遺構「高輪築堤」が発見されました。日本の鉄道で最大級の遺構で、今後は保存などが協議されています。そこで「空から撮った鉄道」でも、7月~12月に空撮した遺構を紹介します。
この記事の目次
・2020年7月の空撮で築堤の遺構と直感
・再び上空を訪れると築堤と橋台があらわに
・高輪ゲートウェイ駅前も築堤が露出
【画像枚数】全30枚
2020年7月の空撮で築堤の遺構と直感
日本初の鉄道の錦絵には、品川の海を築堤で渡っているシーンがあります。これは「高輪築堤」と言われるもので、東京湾の浅瀬に築堤を造り、そこに線路を通しました。今から約150年も前の1872(明治5)年。日本初の鉄道は海を渡っていたのです。高輪築堤は壊されたか埋められたか、既に残存しないものとして認識されていました。
2020年7月16日配信の【空から撮った鉄道】2020年7月の品川駅~田町駅 高輪ゲートウェイ駅開業でガラッと変わったその周辺の記事では、品川駅~田町駅界隈の今を紹介しました。そのとき撮影したものの1枚に、掘り起こされた石垣みたいなものが写っているカットがあり、高輪築堤のあった場所と一致します。これはひょっとしたら築堤の遺構かもしれないと直感しました。
というのも、品川駅~田町駅界隈はこの10数年空撮してきており、新旧地形図を見比べたとき、2019年11月まで使用していた山手線と京浜東北線の位置は、日本初の線路があった箇所とトレースできました。とはいえJR東日本や港区などから公式発表は無く、「おそらく築堤の跡で間違いないだろう」という確信に近い推測の段階で、撮影済みの空撮写真は、しばし置いときました。
再び上空を訪れると築堤と橋台があらわに
9月、上空を通ったさいに見たら、築堤と橋台部分があらわになっていました。築堤は幕末期に造られたお台場に見られるような大きな石が積み重なった石垣で、橋台の石積みの石も大きく、鉄道の遺構というより城郭の遺構に見えます。今まで見たことのある古い築堤と橋台といえば、明治中期~後期製がせいぜいです。明治初期の築堤と橋台など初めて見たので、違和感あるのも当然です。城郭の遺構に見えるということは、初の鉄道は築城の技術や石が用いられたのでしょうか。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。