日本版「クリスマス・ドロップ」 海自ヘリS-51が結んだ絆 「ヘリのおじさんありがとう」

10年以上続いたヘリパイと住民との現地交流

 このように野平の人々に愛されたS-51ヘリコプターでしたが、設計が古いだけに性能は高くなく整備性もあまりよくなかったようです。1960(昭和35)年ころからは老朽化も進み、山越えができなくなったため飛行コースから野平がはずれますが、慰問飛行は続けられました。

 しかし1961(昭和36)年3月、救難出動中に3名が殉職する事故で1機喪失。残る2機も同年中に引退しますが、慰問飛行は最新鋭のシコルスキーHSS-1対潜ヘリコプターに引き継がれ、交流は昭和40年代まで続いたそうです。

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野平小中学校に飛来したS-51のイメージ。野平地区への電話敷設は1958年、全戸電気開通は1962年、自動車道の開通は1966年まで待たねばならなかった(リタイ屋の梅作画)。

 実働わずか7年、たった3機しかなかった海上自衛隊のS-51は、残念ながら2020年現在、1機も残っていませんが、東北電力が運用した同型機のWS-51「きたかみ号」が、青森県立三沢航空博物館(※2020年12月現在、リニューアルのため休館中)に保管されています。同じ青森の地に残されたS-51ヘリコプターに逢えたら、往時をしのぶことができるかもしれません。

【了】

【写真】日の丸を付けた往時の海上自衛隊S-51ヘリコプター

Writer: リタイ屋の梅(メカミリイラストレーター)

1967年生まれ。「昭和30~40年代の自衛隊と日本の民間航空」を中心に、ミリタリーと乗りもののイラスト解説同人誌を描き続ける。戦後日本史も研究中。

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コメント

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2件のコメント

  1. いつも楽しくニュースを見ています
    日本にも「クリスマスドロップ」が行われていたですね、
    クリスマスイヴのこの記事に心が温まりました
    ありがとうございました(^O^)/

  2. たしか、映画トコリの橋に空母から発着する同型ヘリが出てきますね。
    動力は星型エンジンを上向きに置いてたとは存じませんでした。