チャック・イェーガー「人類初音速突破」のカラクリ 実は音速超えはその前にもいた!?

愛機に「グラマラス・グレニス」とつけるまでの来歴

 チャック・イェーガー氏は、第2次世界大戦がはじまると、アメリカ陸軍航空隊に整備士として入隊し、その後戦闘機パイロットとなり、ヨーロッパ戦線に派遣されます。搭乗したのは、第2次世界大戦で最も優秀な戦闘機として知られるP-51「マスタング」。ここでは、アメリカ陸軍航空隊で最初にわずか1日でエースパイロットになった、機銃を使わずに2機撃墜した、ジェット戦闘機を1機撃墜した……など、ある意味伝説のようなエピソードを多数残します。

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P-51「マスタング」戦闘機(画像:USAF)。

 このころから同氏は、機体の胴体に「グラマラス・グレン」と描いていたとされています。グレンというのは女性の名前で、当時の同氏の恋人でした。彼女は音速突破の頃には結婚して「グラマラス・グレニス」になっており、ゲン担ぎとしては素晴らしいお守りとなったことでしょう。

 イェーガー氏は、マッハの壁を越えた後もアメリカ空軍で勤務し続け、数々の機体の開発に関わり、将軍になっています。1997(平成9)年には、超音速突破50周年を記念し、同氏が好きな機体といわれるF-15Dで音速突破を再現しました。

 余談ですが、成田空港至近にある航空科学博物館には、航空100年を記念した企画展示で作成したXS-1のコクピットの模型が置いてあるのですが、私(種山雅夫、元航空科学博物館展示部長 学芸員)は、その狭さにびっくりした記憶があります(2021年1月現在は、密を避けるため搭乗できないようです)。

【カラー写真】ベルXS-1の操縦席に座るチャック・イェーガー氏

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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コメント

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2件のコメント

  1. 衝撃波はいつごろから知られていたのでしょうね

    • う、うーん。 大砲の弾が音速に達した頃からかな