日本じゃ王者ボーイングよりメジャーだった!? 伝説の航空機メーカー「ダグラス」の軌跡
ライバル「ジャンボ」出現! さあどうするダグラス
ダグラスが海外の航空会社などの要望を受け開発を計画した機体は、アメリカ本土を西海岸から東海岸へひとっ飛びできる航続距離を持ちながら、ボーイング747よりダウンサイジングした旅客機でした。
当時、まだエンジン2基ではパワー不足であることから、747と同じエンジンを3基搭載します。これが、1970(昭和45)年に初飛行した、DC-10です。なお、一方で、ほぼ同時期に、ライバルのロッキードも同じクラスの機体を開発。これが、よく似たスペックの3発機L-1011「トライスター」です。
JALは主に中距離国際線の用途でDC-10を導入。「ジャンボの兄弟」といったキャッチコピーまで付けました。もちろん海外の航空会社でも導入されており、様々なカラーリングのDC-10が成田空港の駐機場を囲む光景は、当時ごく日常的なものでした。
とはいえ、DC-10は商業的には大ヒットしたわけではありませんでした。実をいうとダグラスは、過去のモデルをベースに発展型を作ることに長けていたメーカーでした。もちろんDC-10も、この法則に当てはまります。
DC-10は、いわゆるパイロット2人と航空機関士、3名で操縦するタイプのクラシカルな操縦システムを装備していました。その後ダグラスは、DC-10をベースに最新のシステムを採り入れた「MD-11」をデビューさせます。とはいえ、なぜ「DC-11」ではなく、型式のアルファベットが「MD」なのでしょう。
ダグラスの倒産の直接の原因はDC9の受注が好調すぎて黒字倒産したことにあります。DC-10は今ひとつ売れなかったが、DC-9の受注は絶好調でしたが、背景にオイルショックなどにより材料仕入れ価格の上昇などがありましたが製造と販売のタイムラグが大きく入ってくるお金と出て行くお金のバランスがとれず倒産したものです。ボーイングに合併後もDC-9系列の飛行機(MD85系やB717)はダグラス系列の飛行機では最後まで生産されていました。
ダグラス社は、セントルイスにあったと思います。仕事で、半月言ってました。当時、上空をファントムが飛んでました。