日本じゃ王者ボーイングよりメジャーだった!? 伝説の航空機メーカー「ダグラス」の軌跡
【動画】空飛ぶ骨董品?じゃありません DC-3に乗れちゃった
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
ダグラスの倒産の直接の原因はDC9の受注が好調すぎて黒字倒産したことにあります。DC-10は今ひとつ売れなかったが、DC-9の受注は絶好調でしたが、背景にオイルショックなどにより材料仕入れ価格の上昇などがありましたが製造と販売のタイムラグが大きく入ってくるお金と出て行くお金のバランスがとれず倒産したものです。ボーイングに合併後もDC-9系列の飛行機(MD85系やB717)はダグラス系列の飛行機では最後まで生産されていました。
ダグラス社は、セントルイスにあったと思います。仕事で、半月言ってました。当時、上空をファントムが飛んでました。