もはや骨董品のDC-3がいまだ仕事で飛んでいるワケ 航空史に名を刻む旅客機なぜ現役?

DC-3は第2次世界大戦以前に運用が開始された、歴史的存在ともいえる旅客機ですが、いまだ輸送業務などビジネスでも使用されています。同機を3機保有し業務に使用しているという企業に話を聞きました。

かつては日本でもライセンス生産

 ダグラス・エアクラフト(現ボーイング)が開発した旅客機DC-3は、いわゆる「レシプロ機」と呼ばれる飛行機で、蒸気機関やクルマのガソリンエンジンなどと同じく、ピストンの往復運動で動力を得るレシプロエンジンでプロペラを回しています。また、機体後部が下がった「尾輪式」と呼ばれるデザインは、21世紀現在の旅客機では見られないクラシックなもので、この機体が1930年代という古い時代に作られたことを表わしています。

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離陸するエアボーン・イメージング社所有のDC-3。レシプロエンジンと尾輪式の機体は前世紀の遺物といえるが、現在も業務として飛び続けている(布留川 司撮影)。

 DC-3には原型となったDC-1という機体があり、これは1933(昭和8)年に開発されました。当時としては文字通りに革新的な機体で、従来とは異なるモノコック構造(骨組みの代わりに、外板が強度や剛性を負担する構造)や、空気抵抗を軽減する引き込み式の足などを採用。それらは、現代の機体にも使われている技術の原点といってもいいでしょう。

 DC-3は、このDC-1をより大型化した機体で、機内のスペースが広がったことで搭乗可能人数が増え、当時の航空会社はより収益を上げられる機体として、こぞって採用しました。その輸送能力にはアメリカ軍も目を付け、C-47という軍用輸送機が開発され、第2次世界大戦などの歴史的な戦局で活躍しました。

 また、DC-3は日本でも1930年代末期、昭和飛行機工業(東京都昭島市)によってライセンス生産が行われており、当時の日本海軍も、エンジンを国産の「金星」に換装した機体を「零式輸送機」として採用しています。「零式輸送機」は、太平洋戦争が始まる直前の1940(昭和15)年から配備され、開戦以降は日本とアメリカ、敵対する双方の軍で、同じ機体を源流とする似通った輸送機が使われていたことになります。

 初飛行から1世紀近くも経った古い機体ですが、実は現代でも数多くの機体が、飛行可能状態で存在しています。しかもそのなかには、クラシックカーのように趣味的に維持されているのではなく、輸送などの業務で使われている機体もあります。

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コメント

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1件のコメント

  1. 機体の大きさと性能が手ごろであること、過去に製造された機数が多く、維持整備の際の部材が多数安価に出回っており、古い機体だからといって維持に困るようなことがないどころか、他の機種を選定するより安価だと聞いたことがあります。さらに、レシプロエンジンだから、機種限定不要で事業用操縦士多発限定だけで操縦できますしね。