「ほぼ垂直に突き刺さる橋」なぜできた? そそり立ち度MAXの可動橋 鉄道ないのに踏切も
もともと手結は「海水浴場の街」「峠越えの街」
現在では、この可動橋が有名な手結地区ですが、もともとは高知県内随一の規模を誇る「手結海水浴場」(現・海の公園「ヤ・シィパーク」)がある場所として知られていました。地元の方によると、高知県東部に住む人の多くは、遠足や臨海学校など何らかの形で手結を訪れたことがあるのだとか。
この海水浴場の周辺にある広大な駐車場は、実は鉄道の廃線跡です。1974(昭和49)年に廃止された土佐電気鉄道(現・とさでん交通) 安芸線の手結駅があった場所で、海水浴シーズンには高知市内からの臨時列車で賑わったといいます。
前出した土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線は、この安芸線の廃線跡を一部で利用して2002(平成14)年に開業。このとき手結地区の最寄りとなる夜須駅も開業し(旧安芸線の夜須駅とは位置が異なる)、駅前に整備された「道の駅やす(ヤ・シィパーク)」では、可動橋の向こうから買い付けてきた新鮮な海産物が人気を集めているそうです。
このほか、手結港の背後にある手結坂(ていざか)は、坂本龍馬や幕末の志士が幾度となく越えた記録が残る峠です。かつては数軒の茶屋があり、うち1軒には、明治期の「佐賀の乱」で敗北した政治家・江藤新平が逃亡中に立ち寄ったとも。江藤はここで、現在も地域の名物となっているあん餅(手結山の餅)を、あまりの美味さに何個も平らげ、お盆の下に巨額の紙幣を置いて去ったことで足取りを掴まれたとも伝わっています。茶屋の1軒は現在も残っており、逃亡中の江藤がそこまで夢中になった味を確かめにいくのも良いのではないでしょうか。
峠の高台から手結港を眺めてみると、漁師町の真ん中に突き刺さる可動橋がことさらに異彩を放っています。
【了】
Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
コメント