ドイツ空母「グラーフ・ツェッペリン」はただの「艦種コレクション」だったのか
「グラーフ・ツェッペリン」といえば、世界一周飛行を達成した飛行船の名として広く知られていますが、実は同名の空母もかつて建造されていました。日の目を見ることはかなわなかった、もう1隻の「グラーフ・ツェッペリン」のお話です。
ヒトラーの再軍備宣言に取り残されたドイツ海軍
1935(昭和10)年3月16日、ドイツのヒトラー政権はヴェルサイユ条約の軍備制限条項を破棄し、再軍備宣言を発します。その3年後の1938(昭和14)年12月8日、ヒトラー総統も臨席した空母「グラーフ・ツェッペリン」の進水式が行われました。くしくも日本海軍空母機動部隊が真珠湾を攻撃するちょうど3年前のことです。主力艦として注目されつつあった「空母」をドイツ海軍が保有し、ナチスドイツの威容を見せつける格好のイベントでした。
派手なデビューを飾った「グラーフ・ツェッペリン」ですが、その後、表舞台には登場しませんでした。3万トンを超えるドイツ海軍でも屈指の巨体は、国内政争と早すぎた戦争の波に翻弄されていきます。
「再軍備」は、ヒトラーが政権を取る前から水面下で着々と準備がすすめられてきた、ドイツの悲願でした。先の第1次世界大戦では潜水艦「Uボート」が通商破壊戦で名を馳せたドイツ海軍においても、その再建方針が議論になります。すなわち、通商破壊戦を主眼とするのか、イギリスやフランスとも渡り合える大艦隊を指向するのか、というお話です。議論の結果、通商破壊戦をするにも水上艦戦力は必要ということと、ヒトラーが「大きなもの好き」ということもあり、大艦隊建設を目指すことになりました。これは「Z計画」と呼ばれます。
大艦隊の戦力化には空母、戦艦、巡洋艦、駆逐艦など、多くの艦種を揃える必要があります。莫大な費用と時間がかかりますので、Z計画の完成目標は1945(昭和20)年という気長なものとなります。政権内では海軍の政治力は弱く、再軍備宣言から取り残された感もあります。
戦後、ドイツ海軍の戦闘記録をまとめた『呪われた海』の中で、著者のカーユス・ベッカーは、Z計画を「艦種のコレクションだけの艦政だった」と批判しています。
カタパルトを装備してたり、砲塔が左右向ける位置にあったりアメリカ的な設計でそんな悪くないようにみえるが