ドイツ空母「グラーフ・ツェッペリン」はただの「艦種コレクション」だったのか

ヘルマン・ゲーリングは食指を動かさず

 Z計画の中でも難物だったのが空母です。航空機の急速な発達により、海上戦でも早晩、航空戦力が重要な役割を果たすであろうことは予想されていました。ドイツ海軍は1932(昭和7)年11月から空母の研究を始めたものの、「そもそも空母って何?」という状態でした。そこで、空母建造や運用に先鞭をつけていた日本とイギリスから情報を得ようとします。

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「グラーフ・ツェッペリン」進水式に臨席したヒトラー総統。ヒトラーの右隣りがヘルマン・ゲーリング国家元帥(画像:ドイツ連邦公文書館)。

 こうしたわけで、ドイツ空軍士官1名、海軍士官1名、造船技術者1名が1935(昭和10)年秋に日本を訪れています。日本でも空母の扱いはまだ手探り状態の時期だったものの、大規模改修前で三段式甲板だった「赤城」の設計図から艦載機の訓練方法まで、最高の軍事機密やそのノウハウがドイツへ提供されました。一方、イギリスにおいても空母「フューリアス」の調査が試みられますが、こちらは成功しませんでした。

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1939年3月22日に撮影された艤装中の「グラーフ・ツェッペリン」の艦尾写真(画像:ドイツ連邦公文書館)。

 空母の戦闘力となる、肝心の艦載機についても準備ができていませんでした。「海上運用を想定した単発戦闘機」など開発すら行っておらず、計画では、Bf 109E陸上戦闘機の艦載機バージョンであるBf 109Tが30機と、12機のJu 87急降下爆撃機が「グラーフ・ツェッペリン」に搭載される予定でした。しかしメーカーも空軍向けの生産に忙しく、空母艦載機はなかなか顧みられず、1940(昭和15)年12月になって、ようやくBf 109Tが7機だけ完成するという有様でした。

 ドイツの航空業界に絶大な影響力を持っていたのは、ナチス政権の有力者ヘルマン・ゲーリングで、海軍が独自の航空戦力を持つことには非協力的でした。空母航空部隊の編制準備はされるものの、管轄はあくまで空軍のままでした。

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艦載戦闘機になる予定だったメッサーシュミットBf109T。機体後部に着艦時、ワイヤーに引っかけ制動するためのフックが見える(画像:ドイツ連邦公文書館)。

 ゲーリングの政治力なら、逆に「グラーフ・ツェッペリン」を空軍管轄にしてしまうなどという荒業も可能でした。しかしゲーリングは妙な直感が働く人だったようで、たとえば世界一周飛行を達成し一世を風靡した同名の「グラーフ・ツェッペリン」などのツェッペリン級硬式飛行船には全く関心を示さず、空母にもほぼ無関心だったといいます。いずれも使い物にならないことを直感していたようです。

【画像】完成したらこんな姿か 米軍の艦識別表に描かれた「グラーフ・ツェッペリン」

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コメント

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1件のコメント

  1. カタパルトを装備してたり、砲塔が左右向ける位置にあったりアメリカ的な設計でそんな悪くないようにみえるが