ドイツ空母「グラーフ・ツェッペリン」はただの「艦種コレクション」だったのか

不要不急の艦種コレクション

 風雲急を告げるヨーロッパ情勢は、のんきなZ計画を待ってくれませんでした。

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1940年6月21日に撮影された「グラーフ・ツェッペリン」の艦首。甲板上に2本の艦載機発進用カタパルト、甲板下に10.5cm対空砲が見える(画像:ドイツ連邦公文書館)。

 再軍備宣言をしたとはいっても、戦端を開くかは別次元の話です。あくまでも軍備は外交カードの1枚であり、外交目的が達成されれば戦端を開く必要はありません。ヒトラーも、それまでの外交の成功体験から戦争が起こるリスクを見誤っていました。半分ハッタリだった再軍備宣言の実体がともなわないまま1939(昭和14)年9月、ドイツはポーランドへ侵攻し第2次世界大戦が勃発してしまいます。ドイツ海軍は全く準備不足でした。

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1942年2月6日イギリス空軍が撮影したゴッテンハーフェンで建造中の「グラーフ・ツェッペリン」。3基のエレベーターがはっきりと分かる(画像:アメリカ海軍)。

 早すぎる開戦でドイツ海軍の「不要不急の艦種コレクション」は中断されてしまい、「グラーフ・ツェッペリン」も1940(昭和15)年6月に建造が中断されます。同年11月のタラント空襲、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃で空母の有用性が明らかになり、1942(昭和17)年5月に同艦の建造が再開されるものの、戦局が悪化した1943(昭和18)年2月には再度、中止命令が出され未成艦のまま放置されます。

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1945年9月、ソ連軍が撮影したポーランドのシュチェチンに停泊する「グラーフ・ツェッペリン」(画像:アメリカ海軍)。

 1945(昭和20)年4月25日、現在のポーランドのシュチェチンに停泊していた「グラーフ・ツェッペリン」は、ソ連軍の侵攻前に自沈します。しかし空母に関心を持っていたソ連は終戦後、艦体を引き上げ、ドイツの造船所で修理ののち接収します。1947(昭和22)年2月3日には洋上基地「PB-101」として、ソ連軍事造船科学調査研究所の管理下に置かれますが、8月17日に演習標的となって再度、沈められました。2006(平成18)年7月12日、ポーランドの石油資源探索会社によって、バルト海に沈む「グラーフ・ツェッペリン」の艦体が発見されています。

 ドイツ海軍はこれ以降、空母を保有したことはありません。

【了】

【画像】完成したらこんな姿か 米軍の艦識別表に描かれた「グラーフ・ツェッペリン」

Writer: 月刊PANZER編集部

1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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1件のコメント

  1. カタパルトを装備してたり、砲塔が左右向ける位置にあったりアメリカ的な設計でそんな悪くないようにみえるが