ドイツ生まれの客船を転用 旧海軍空母「神鷹」 日本がてこずった同盟国の先進技術とは
太平洋戦争前、ドイツと日本は長距離航路で結ばれていました。そこに投入されたドイツ客船が、戦争勃発によって日本に留め置かれたことで誕生した空母があります。数奇な運命をたどった外国生まれの日本空母について見てみます。
ドイツが誇る新鋭客船「シャルンホルスト」が原型の日本空母
太平洋戦争において、終戦までに竣工した旧日本海軍の空母は合計24隻あります。それらのほとんどは国内の造船所で建造されたものです。しかし唯一、ドイツで建造された船がベースの日本空母がありました。名前は「神鷹(しんよう)」といいます。
空母「神鷹」は客船改造のいわゆる軽空母で、元はドイツ客船「シャルンホルスト」です。同船をベースに日本で空母に改装したため、ドイツ生まれの船ながら日本の艦名が付けられました。
「シャルンホルスト」は、ドイツと日本を結ぶ長距離航路用の大型客船として建造されました。そのため、総トン数は1万8000トン以上、全長は198.7mあり、さらに客船としては脚が速く最大速度は23.3ノットも出ました。
1935(昭和10)年4月30日に竣工すると、シンガポールや香港、マニラなどを経由して来日する、いわゆる極東定期航路に就役します。しかし4年後の1939(昭和14)年8月、ドイツに戻るために神戸を出港し、マニラからシンガポールに向かっている途中、本国から発信された暗号無電を受信します。その内容は航行中もしくは外国に停泊中の全ドイツ船舶は、ただちに本国に戻るか中立国の港に入港するようにというものでした。
この無電によって「シャルンホルスト」は日本に戻ることにします。そして神戸に入港した9月1日、本国ドイツは隣国ポーランドへ進攻を開始、第2次世界大戦が勃発しました。開戦によってドイツに戻れなくなった「シャルンホルスト」は、そのまま神戸港に据え置かれることになり、船長以下、乗組員全員は船を降りてシベリア鉄道経由で帰国の途につきました。
ドイツの高圧ボイラーは本国でも稼働率の低いものなのでこの見解はどうでしょう?
軍艦では高温高圧のボイラーを避けるもので、実際軍艦のボイラーは同時期の商船と比べれば低いのが普通です。
高温高圧のボイラーは熱力学サイクルから見れば魅力的ですが、現実には稼働率や整備性の悪化、被弾時の危険性増大などがあるためです。
神鷹のボイラーについて考えるとするなら、「予定通りに整備を受けられる前提の民間船の機関を軍で扱えるか?」という観点で考えるのが正解でしょう。よく「フレッチャー級は島風より高温高圧のボイラーを使っている」という人がいますが、船として必要な性能が出るならむしろ低温低圧で済ませるべきです。米軍でも扱いあぐねたのかフレッチャー級の次級では運転条件を少し下げていますね。つまるところ高温高圧のボイラーは「自国なら高温高圧でも扱える」という技術的自信の表れです。ですが、その自信が裏付けのないものだった場合にどうなるのかを大戦時のドイツ艦から学ぶべきではないでしょうか。