湖上を延々と走る列車 JR鹿島線の絶景「北浦橋梁」が生まれたワケ
千葉県香取市と茨城県鹿嶋市を結ぶJR鹿島線にある「北浦橋梁」は、湖の上を列車が走る風景が人気の撮影スポットになっています。この風景が生まれた背景には、建設当時の鉄道を取り巻く状況が見え隠れします。
湖面に真っすぐ伸びる鉄橋
利根川の最下流域に位置する成田線の香取駅から、北東の沿岸部に向けて分岐するJRの路線が、鹿島線です。
鹿島線は茨城県鹿嶋市の鹿島サッカースタジアム駅を終着駅としていますが、この駅は臨時駅なので、通常は一つ手前の鹿島神宮駅が終点です。同駅には水戸方面から鹿島臨海鉄道の列車が乗り入れています。
さて、その鹿島神宮駅の西側に、鉄道ファンに人気の絶景ポイント「北浦橋梁」があります。「霞ケ浦」を構成する湖のひとつ「北浦」を渡ります。
この橋は全長1236mで、日本の鉄道橋としても有数の長さを誇ります。水上に橋脚が並び、単線の橋桁が真っすぐ伸びる光景は壮観ですが、さらにここを貨物列車も渡っていきます。
目の前いっぱいに空と湖面が広がる中、水平線近くをすすむ貨物列車は、まるで大自然に溶け込んでしまったかのようです。
日本有数の長大鉄道橋が生まれた背景
鹿島線の歴史は比較的浅く、元々は香取と水戸を結ぶ計画で、1960年代半ばから工事が始まりました。1970(昭和45)年に香取~鹿島神宮間が先行開業しましたが、残りの区間は国鉄による運営を断念し、第三セクターの鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線として開業しています。
当時はすでに、新たな鉄道建設は国鉄から日本鉄道建設公団の手に渡っており、貨物輸送や高速運転を見据えて、高架やトンネルを主体とした高規格仕様で建設が進められました。
もし明治期や昭和初期に鹿島線が敷設されていたら、今よりも下流の、川幅が狭くなる部分を選んで迂回するルートになっていたかもしれません。しかし、建設技術が進歩していき、建設上の制約が無くなっていく中、香取と鹿嶋をできるだけ最短距離で到達できるルートが取られ、結果としてこの長大な北浦橋梁の「名撮影スポット」が生まれたと思うと、感慨深いものがあります。
【了】
日本全国ほとんどの有力寺社には明治大正期に「~参宮鉄道」が建設されていたことを考えると、鹿島神宮に至る鉄道が昭和のコンビナート開発まで建設されなかったのはむしろ異例と言えるが、舟運が発達していたという理由以外に、単に水郷地区を越えることが技術的に難しかったというのも一因だったんでしょうな
旧鹿島鉄道が石岡接続で鹿嶋を目指すルートを計画した理由はよく知らないのだが、およそそんな理由だろうとは推測してる