愛知県内にある名鉄の「横須賀駅」 しかも3駅! 誕生の背景は? 軍艦はありません
それぞれの地名のいきさつは?
東海市にある「横須賀」の地名は、『角川日本地名大辞典』によると、江戸時代の1666(寛文6)年に尾張藩の第2代藩主、徳川光友が風光明媚なこの土地に「臨江亭」、またの名を「横須賀御殿」という別荘を建て、「潮湯治」なる保養を行ったのが始まりといいます。
現在この一帯は中京工業地帯の一部となっていますが、かつては砂浜が広がる海岸線でした。そもそも一般的な「横須賀」という地名の由来は、「横に伸びる須賀(砂州)」と言われています。もともと馬走瀬(まはせ)と呼ばれていたこの地は、同時期に横須賀町方と呼ばれるようになりました。
横須賀御殿は50年足らずで姿を消しますが、のちに代官所が設置され、周囲は知多郡横須賀村として市街地が広がっていきました。
さて、横須賀村の中でも海から遠い側の集落は「高横須賀」と呼ばれていました。一般的な位置関係を示す呼び方では「上横須賀」となるところですが、「御殿がある場所の上とは恐れ多い」とのことで、「高」を冠したそうです。
尾張横須賀駅の現在の所在地は東海市養父町北反田ですが、開業時、養父町は横須賀町養父でした。歴史をさかのぼると養父村であり、分村する前は横須賀村だったのです。一方、高横須賀駅の所在地は東海市高横須賀町。開業時は横須賀町高横須賀でした。
東京、埼玉、神奈川、山梨、静岡の範囲に、十日市場、赤坂、霞ヶ関、足柄が2つずつ。
京都、大阪、兵庫の範囲内に2つずつあるのは、平野、曽根、住吉、大久保、霞ヶ丘、長田、橋本、木津…
長崎県以外の長崎が付く駅だと
東京都に2つ、高知県と山形県に1つずつ。