「天六」はなぜフツーの駅になったのか 大阪の一大ターミナルだった天神橋筋六丁目
風景は変わっても…オトナのパラダイス・天六
地上の天神橋駅は廃止され、駅ビルとしての役目を終えた「天六阪急ビル」は、その後も40年以上にわたって総合ビルとしての機能を果たし続けました。1階には阪急系列のスーパーと銀行が最後まで入居し、鉄道の高架が撤去された2階の駅部分には地上から自動車用のスロープが架けられ、ホームがあった場所はトラックの搬入口として再活用されていました。
2010(平成22)年から徐々に取り壊しが始まった天六阪急ビルの跡地には、44階建ての高層住宅「ジオタワー天六」が建設され、同時に進行した再開発によって、周囲の立ち飲み店や理髪店、5つの映画館が入居していたシネ5ビル、ひっそりと旧路線名を掲げ続けていた雀荘「新京阪倶楽部」などが次々と姿を消していきました。
また天六交差点の人の流れも大きく変化しつつあります。ここに発着していた路面電車(阪神北大阪線)の代替である阪神バス北大阪線も、全盛期は数分ごとに運行されていたのが、いまや週2往復のみです、
しかし、天六阪急ビルの周辺にあった店の多くが、再開発後の区画や、ビルのすぐ南側から2.6kmにわたってアーケードが伸びる「天神橋筋商店街」周辺に分散・移転し、いまも息づいています。大阪有数の飲み屋街として名高いこのエリアは、周辺にテレビ局や芸能事務所が多いこともあり、新型コロナウィルスの影響を受けるまではさまざまな人々を見かける賑やかなエリアでもありました。
なかには「あの喫茶店にやたら背の高いウェイターが入った!」との話を聞いて見に行ったら、翌年にその方が天満橋近辺を舞台としたTVドラマで準主役を務めていた、などということも。近年の大きな変化といえば、「天六」校区で育ったとある若手俳優が出演する某携帯会社のCMが、立ち飲み屋のテレビで流れるたびに「出た、天六のスター!」「あいつと俺は親子も同然」と言い張る人々が後を絶たないことでしょうか。
2020年には感染症拡大の影響で中止となりましたが、毎年夏の「天神祭」では初日の名物「ギャルみこし」の会場として、アーケード中にこだまするような威勢の良い声が響き渡ります。現在はこの光景が戻るかも見通せない状況ですが、またかつてと同じように、知らない人と肩を組んで呑み明かすオトナのパラダイス・天六を楽しみたいものです。
【了】
Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
キャプションが「阪急オアシス銀行」になってますよ!(確かに阪急はその昔、金融業務(株式会社ステーションファイナンス)やってたことありますけど…)
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
この場合「役不足」は間違いかな?と。
本来は「力不足」「役者不足」が正しいと思いますが?
祖母宅が天六の近くの浪花町にありました。
長女である伯母が生まれたのが大正15年。昭和3年生まれの母はずっとあの辺りで育ったのですが、そんなに栄えた街だったとは。
「1925(大正15年)」とありますが、1925年は「大正14年」では?
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
関西大学天六学舎があったのも、今は昔になりました。